「制度づくりは大嫌い」―首相も注目する創業143年の老舗社長による“働き方改革”

株式会社天彦産業(てんひこさんぎょう)

代表取締役社長 樋口 友夫

プロフィール

“働きやすさ”で注目を浴びている、創業143年の天彦産業を知っていますか?

有給休暇取得率71%、子どもの学校行事は原則休み、平均残業月約14時間。育児休暇は男性も取得しており、2014年には安倍首相が視察に訪れたほど。

こんなに働きやすいのなら、さぞかし特別な制度があるのでは?――樋口社長に尋ねると、「制度づくりは大嫌い」「ダイバーシティの意味もわからなかった」そう。外の評価なんてどこ吹く風の樋口さんですが、世間を騒がす “働き方改革”を進めていくのなら、もっと大事なことがあると教えてくれました。

働きやすさは倒産危機から学んだ生き残り術!?

働きやすさは倒産危機から学んだ生き残り術!?

御社の働きやすさはどんな考えから生まれたのでしょうか。

樋口氏:すべてのはじまりは、父と兄が社長のころに迎えた2度の倒産危機。会社経営は一人じゃどうしようもないことを感じていた私は、社長就任の日に「僕一人で経営したら会社は潰れる。みんなでやってほしい」と全社員の前で宣言したんです。結局、生き残っていくのは資金力のある会社。そこで勝負したらうちはまず勝てません。どこにでもある会社になったら負けてしまいますから、やっぱり社員が大事なんです。もしも当社によそと違う点があるとしたら、そこですね。経営理念にも“社員第一主義”を掲げています。お客さま主義を体現するのは社員ですから。

社員第一主義=働きやすい環境をつくることでしょうか。

樋口氏:“社員第一主義”と言っても、決して、社員に甘い言葉ではないんです。理念の実現には『自分・家族・会社』の3つの幸せを追求することが必要です。『自分の幸せ』とは、仕事での達成感や充実感による幸福を指しており、自分を支えてくれる『家族の幸せ』も欠かせない。2つを実現できれば会社の幸せは自然と生まれるという考えです。当社はすべてこの考えで動いています。

働きやすさを取り上げていただくことは多いんですが、その視点でやってきたわけではなく、どうしたら社員のモチベーションが上がるのかを考え実行してきた積み重ねが、この状態を生んでいます。

なるほど。モチベーションアップに向けての取り組みを教えてください。

樋口氏:例えば、社員に少しでも「自分は会社に必要なのだ」と感じてもらいたくて、ボーナスは現金手渡しです。社員、社員の奥さんもしくは旦那さん、親御さん宛の手紙を添えているので、翌日に届く山のようなお礼メールの対応はいつも大変ですが、家族にも喜ばれているのだと実感しています。社員の親御さんから自作の陶芸品をいただくなど会社と家族との距離も近いです。

では、世の中の“働き方改革”について、どう思われますか?

樋口氏:世間では社員を楽にしようと労働時間を問題にしがちですが、社員の中にはやりがいのある仕事であれば残業を苦だと思わない人もいると思うんです。ひと括りに展開しても無理があるのじゃないかな。私はもっと、社員のモチベーションが上がることは何なのかを追求したい。あえていうなら、それこそが働き方改革だと思います。
社員のモチベーションが上がることは何なのかを追求

有休取得と利益が比例する、お互いさま風土誕生

では、社員のモチベーションを高める取り組みが、どのように働きやすい環境を生んでいったのでしょうか?

樋口氏:この流れができたのは、十数年前の事件がきっかけ。当時の現場責任者が、「男性社員が『子どもの入学式に参加したいから休みたい』と言っていたが、平日だし、奥さんが行けばいいじゃないかと断りました」と報告してきたのです。ごくごく普通に。その時に「うわ、この会社、世間の風が入っている!」と危機感を抱きました。このままだと、どこにでもある会社になってしまう、と。

世間の風はさも当たり前の顔をして入ってきますし、当時の現場責任者がそう思っても仕方のない時代でした。だからこそ、そのことをきっかけに、子どもの行事は全部休むよう、ひとまず強制にしたんです。入学式、運動会、授業参観。これはもう徹底してやりました。今は定着しているので自由ですが、全員休んでいますよ。

それは大きな改革ですね。しかし「突然休め」と言われた社員のみなさんは納得されたのでしょうか。

樋口氏:最初はみんな休みづらかったようで、ギクシャクしていましたが、段々と休み明けのスタンスが変わっていることに気づいたんです。「忙しい中こんな時間を過ごせた」「家族との時間を過ごし、より仕事を頑張ろうと思えた」と、休んだ側は通常より120%のエネルギーが働くわけです。明日は我が身ですから、誰もが周りに迷惑をかけないように休もうと、周りを気遣う“お互いさま”の風土が醸成されていきました。

それがお互いさまの文化が生まれた背景だったと。お互いを思いやる気持ちが、働き方を変えていったのですね。

樋口氏:そうですね。子どもの行事を休みにしたらいい風土ができた。社員のモチベーションが上がったわけです。それなら有休取得を促進してみようかと2013年ごろから取り組んだところ、有休取得率が10%ずつ伸びていったんです。風土ができていたので社内に不平・不満はなかったですね。

しかし、休みが増えると、会社の利益が心配です。

樋口氏:それが有休取得率と連動して伸びているんです。職場を検証すると、休日前後の行動がまるで変わってきていた。定時内に発揮するエネルギー量にも変化が見られ、今まで100まで進んだ物事が120まで進むようになっていたんですよ。休むからこそどの社員も効率よく働く。会社全体の生産性が高まったと言えますね。こういうことが起こるのだと驚きました。
逆に売上げはよくなっていった

外ではなく内から。世間に惑わされない働き方改革のススメ

最後に、御社のような就労環境を目指している企業様は、何からはじめたらよいのでしょう。

樋口氏:時短勤務で社内がギクシャクしてしまった話などをよく聞きます。「あの人はいつも早く帰るので、こっちに負担がくる」「自分ばっかり」と周りも思うし、そんな周りの目を意識して制度を気持ちよく利用できない。制度があっても自然に使える風土がないと社員がついていけないんですよね。結局はカタチだけで終わってしまう。世の中がやっているからと真似しても失敗してしまいますから、私のやり方をそのまま取り入れても難しいと思うんです。

大切なのは、よその真似や制度をやることではなく、社員を理解し、どうしたら仕事にやりがいを感じられるのか、社員の先にいる家族のことまで考えること。そのうえで要るものは取り入れ進化させ、要らないものは捨てていく。最初の一歩は、外ではなく内を見つめることなんです。

外ではなく内から。世間に惑わされない働き方改革のススメ

今回は特別に、社員の末永さん(写真右)から現場で感じる“お互いさま風土”についてうかがいます。末永さんは男性社員で初めて育児休暇を取得したんですよね。

末永氏:はい。1カ月間の育児休暇を2回取得しました。小さな子どもがいたので「休みなさい」と社長から声をかけてもらったんです。最初は正直とまどいましたが、職場のみんなも「休みな、休みな」と応援してくれて。業務は分担で引き継ぐことができて、安心して休ませていただきました。

それは素敵ですね。働きやすさと仕事のモチベーションをどう両立しているのでしょうか。

末永氏:例えば、仕事を教えるときには進め方と仕事の必要性・重要性をセットで伝えています。そうすると仕事の意義や自分の価値も感じられますよね。だからか「私の仕事はここまで」という感覚は当社にはないと思います。そのため、“お互いさま風土”が染みついているのだと思います。他の人の仕事も“自分事”にできるから、助け合いの精神が生まれるし、全員で一緒に頑張ろうと自然に思えることが両立の秘訣ではないでしょうか。

みなさんにとって社長はどんな方ですか。

末永氏:普通のおじさんですね。

普通のおじさんですか(笑)!

末永氏:はい(笑)。厳しい一面もありますが、気さくで話しかけやすく、社員のことを本当によく見ていると感じます。ボーナスでいただく手紙には、業務上のアドバイスなど細かいことも書いてあるんです。そこまで一人の社員を知ってくれている社長ってなかなかいないと思うんですよ。そして、仕事を優先するのではなく家族との時間が大切だと教えてくれた。今では家族みんなで社長に感謝しています。
社長に感謝

【取材後記】

天彦産業の従業員数は40名。組織規模によっては社長に動いてもらうのは難しいかもしれませんが、「事業部ごとやチームごとであれば社員の特性をつかめるはず」と樋口さんがおっしゃっていたように、細分化した組織なら取り組めそうですよね。生産性向上や労働時間の是正の前に、社員を深く知ることを働き方改革のスタートラインにしてみてはいかがでしょうか。

ちなみにリーマンショックの影響下で無理してボーナスを支給したところ、家族や社員からも「無理をしないで」と反対されることがあったようです。そのときに樋口さんは「この会社は永続すると確信した」とのこと。お互いさま風土は会社と社員の間にも根付いているのかもしれません。

最後に、取材当日は手づくりのウェルカムボードで出迎えていただくというサプライズが。編集部一同、本当に嬉しかったです!天彦産業はどこまでも “人”に対する思いが強いのだと感じました。

(取材・文/増冨 里佳、クリエイティブディレクター/北原 航、撮影/安田 健示(フォトレイド)、編集/齋藤 裕美子)