なぜ、人事は「経営戦略」から切り離されてしまったのか

株式会社タレンティオ

代表取締役兼CEO 佐野 一機

プロフィール
インクルージョン・ジャパン株式会社

取締役 吉沢 康弘

プロフィール

社会全体で「働き方改革」が叫ばれる昨今。時代の変化とともに、人と企業のあり方は刻々と変化しています。そうした中、HR領域でキーワードとして「戦略人事」が注目を集めています。しかし、戦略人事がどんなミッションを持っており、なぜ今関心が高まっていて、どんな素養が求められているのか? 詳細に語れる方は多くはないことでしょう。

そこで今回は、「戦略人事のパートナー」を標榜し、採用管理システムの開発を手掛ける株式会社タレンティオの佐野一機氏と、ネットライフ企画(現ライフネット生命保険)の創業にも携わり、現在はベンチャーキャピタリストとしてさまざまな企業の事業・組織開発支援を手掛ける、インクルージョン・ジャパン株式会社吉沢康弘氏による特別対談を実施。経営に携わってきたお二人の視点から語る、本来の戦略人事とは。前編では、日本社会の変節を踏まえながら戦略人事の重要性がなぜ高まってきたのかを紐解きます。

財務や営業とは違い、HR部門が戦略から縁遠くなる構造

財務や営業とは違い、HR部門が戦略から縁遠くなる構造

吉沢氏:今日の対談で、まずこれを聞いておこうと思っていたんですが、佐野さんは「戦略人事の定義」についてどう考えていますか?最近は、戦略というワードが独り歩きして、踊らされている部分もあるかもしれませんが。

佐野氏:“戦略”って言葉がついていると、なんだかありがたそうに聞こえますよね(笑)。シンプルにまとめると、戦略人事とは「経営戦略に貢献する組織・人事戦略の立案と実行ができること」だと捉えています。ファイナンス(財務)やセールス(営業)でも同じことが言えますが、「経営戦略に貢献する」ということが大前提だと思っていて。その一方でHRだけは、どこか別軸というか会社の中で独特なポジション・雰囲気を醸し出しているケースが珍しくない。本来であれば経営戦略に密接にHRは紐づくはずなのに。この点については、すごく違和感がありますね。

吉沢氏:おっしゃる通り、ファイナンスやセールスはまず経営・事業戦略がありき。その下で「どう動き、何をやるのか?」と各部門が会社目線で戦略を立てるのが基本ですよね。例えば、資金調達とか新規営業比率を増やすとか、これらは働く個人の目線ではなく、あくまでも企業視点での判断です。しかし、HR領域に関しては経営・事業戦略の下に位置しているものの、一方で「残業は何時間までにしてほしい」とか、「給料をもっとアップしてほしい」といった従業員=個人目線の話に引っ張られやすい部分がどうしてもあります。個人のためにどうするか、という軸になってしまっていると。

経営戦略の観点と個人との関係性

経営戦略の観点と個人との関係性

佐野氏:だからこそ、戦略人事ってタフですよね。戦略と適合させながら個人ともコンセンサスを取らなければいけませんから。戦略人事を担うということは、その会社の中でのスーパーマンである必要があるわけです。特に、最近では人と企業の関係性が、時代の変節によってかなり変わってきていると感じていて、難易度も重要度も高まっているなと思います。

吉沢氏:そのお話し、ぜひ伺いたいです。バブル以前の日本企業と人事がどういう関係性で、どんな変節があり、今の時代に何が求められているかっていうのは、非常に興味深い。戦略人事がなぜ今求められているのか、考えていきたいですね。

「24時間戦えますか」時代には、戦略は不要だった?

「24時間戦えますか」時代には、戦略は不要だった?

佐野氏:例えばこのグラフ、日経平均株価と労働人口の推移を合わせたシンプルなものなのですが、このデータだけでもなかなか面白いことが分かってきます。

【トレンド】日経平均株価と労働人口の推移

【トレンド】日経平均株価と労働人口の推移

※タレンティオ社提供

まず特徴的なのが、1970年代~80年代。高度経済成長があって、その後バブルを迎えて日経平均は3万円台になるんですよ。この頃、リゲインの「24時間戦えますか」というCMが流れていました。このコピーはすごく象徴的だと思うのですが、じゃあ今このCM流せますか?と考えると…。

吉沢氏:間違いなくブラック企業に認定されるでしょうね(笑)。

佐野氏:そう。「そんなこと言う会社の製品は買わない」ってなりますよね。でも、この時代は、あれが格好良いことだし、良いことだったんですよね。この頃は、仕事終わりにみんなで夜中2、3時まで飲んで、その場で上司から朝8時までに資料の提出を求められる。提出できないと「お前、なんでできていないんだ」って詰められる…という働き方が珍しくなかった。「会社の言うことは、自分を押し殺してでもやるべきである」という強い契約が結ばれていた時代だったのかもしれません。「終身雇用」というモデルも、この時代の経済成長を前提に確立したものだと思います。つまり、この頃の人と企業の関係性は「一生面倒をみる」というインセンティブを前提とした、主従契約のようなものだったのではないでしょうか。働けば働くだけ豊かになるという、労働の価値がとても高い時代だったと。

吉沢氏:その後、91年から「失われた10年」に入っていきます。

佐野氏:「経済成長が続く」ということが幻想だと分かり、終身雇用の前提が崩れたわけです。企業の成長は見込めなくなり、場合によっては倒産することもある。こうなると、一生面倒をみるという約束を実行できないですからね。終身雇用というモデルは維持できなくなるわけです。つまり、自分を犠牲にしていくら労働力を提供しても約束されたインセンティブが反故にされるわけなので、人と企業の信頼関係が著しく損なってしまった10年っていう解釈ができると思います。
終身雇用の前提が崩れた

吉沢氏:僕は本職がベンチャーキャピタルなので、いろんなアジアの国や他の地域にいくんですけども、やっぱり経済が伸びていると人も熱狂していて、夜中まで働いたり遊んだりしているわけですよ。つまり、働けば働くほど給料は上がるし経済的に豊かになるという、その要素は万国共通だと思うのですが、経済成長と終身雇用がセットになったのは日本固有の現象ですよね。

佐野氏:そう、終身雇用が確立的になりすぎてしまった。本来は終身雇用って人事戦略オプションの1つだと思います。それが、「この人事戦略で事業が伸びる」という成功体験ができてしまい、いつの間にか文化のように全国的に根付いていった。そして、終身雇用があるがゆえに人事モデルを変えなくていい、考えなくていいとなると、人事は戦略的になるよりも終身雇用というモデルをいかに上手に運用するのか、がテーマになってくるので、オペレーションエクセレントになっていき、日本中で「人事はそういう部門だ」という風潮になってしまった。実はこれって悪循環ですよね。

吉沢氏:ちょうどバブル期は「誰がやっても熱中できる」うまく回っていた時代で、誰しもが働きたい意欲満々だった。終身雇用のシステムが順調に機能しているから、とりあえず大量に優秀な人材を確保しておけば、あとは自動的に定年まで働くことになるからうまくいくでしょ、と思っていたんですよね。これが大量採用と言われ出した所以。
大量採用と言われ出した所以

佐野氏:その一方で、現代の時代背景で考えると、2点大きな特徴があると思います。1つは、労働人口が大幅に減っていく。もう1つは、働き方が多様化していく。これは、大きなトレンドなので、この中でどういった活動をしていくのかを考える必要があるわけです。これまで通り終身雇用のモデルでいくのであっても、同じコストを掛けていては同様の成果が得られない。つまり、より多くの投資をしていく必要があります。また、自社がどこまで個人の働き方を許容できるのかも事業戦略と合わせて真剣に考えなければいけません。例えば、当然ですが、工場ではリモートワークは許容できないわけで、「なんでもかんでも許容する」というわけにはいきませんからね。こういったことは、「何にどこまでコストを掛けるのか(投資をするのか)」「それに対する成果を何なのか」「その成果により事業がどのようになるのか」といったことなので、戦略的な意思決定になると思います。

戦略が無ければ、生き残れない時代に。

戦略が無ければ、生き残れない時代に。

吉沢氏:僕は大学院卒で2001年にP&Gに就職しているんですが、きっとその時代のずっと以前から、どの企業も終身雇用を前提とした人事戦略がなされてきたのでしょうね。昔よく言われていたのが、マイホームを購入した瞬間に、「お前、転勤だ」って言われる。それはつまり、会社のつながりを大事にするのか、自分のプライベート(地域)を大事にするのか、どっちにするのか踏み絵をさせていたわけです。そうすることで企業は自社に従う人材の囲い込みを行っていた。だから、極端なことを言ってしまうと、高度経済成長期からバブル崩壊までは、大半の日本企業は個別戦略が不要だったのかなと思うんです。

佐野氏:それは事業戦略も含めてですか?

吉沢氏:そうです。当時新聞に書いてあったことをよく覚えているのですが、どの業種・業態の企業も「海外に工場を移転します」「リストラします」など、みんな足並みを揃えて同じ戦略を取っていた。だから、中には努力していた企業もあるかもしれませんが、一般的には人事部に関しても個別戦略がいらず、どの会社も有名大学から大量採用をして、終身雇用のオペレーショナルなシステムの中で育てればいいと。

佐野氏:それが、今はもう大量採用が難しい時代ですよね。

吉沢氏:そう。就職氷河期からガラッと変わりました。それに2000年代頃から、産業形態や経営状態、時代背景によって、例えば、IT産業は大きくものづくりからいち早くソフトウェアにシフトするといった形で、経営面でも企業の個別戦略が必要になっていきました。

特に今は、個別戦略を高めないと大企業でも生き残れない時代です。当然、事業戦略と強く紐づいているファイナンスやセールスなどが大きく変遷を遂げる中で、HRだけが変われないから、足を引っ張ってしまう。そうなると経営側としても、ファイナンスやセールスには優先的して優秀な人材を配置するのに、HRは切り離されて考えられてしまうんですよね。組織開発コンサルをしていた頃に、そのような組織をいくつも目の当たりにしてきました。

佐野氏:先行きが読みにくいカオティックなVUCA(※)の時代であることを考えても、やはりHRはこれまでとは違う頑張り方をする必要があると思います。ただ、勘違いしてほしくないのですが、戦略人事とオペレーション人事は、優劣の話ではないんですよね。

※VUCAとは、Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字をつなぎ合わせた造語。現在の社会経済環境がきわめて想定外な事象に直面しているという時代環境を表す。

少し前に外資系企業への転職を決めた方のブログを拝見したのですが、そこでは“HR部門のフレンドリーできめ細かな対応が紹介されていて、それが転職への不安をぬぐってくれた”と書かれていました。オペレーションにしても戦略にしても、最も経営や事業に貢献するのが大事なので、オペレーションが巧みであることが最も貢献度が高いのであれば、それはすばらしい成果を出しているということになるかと。いずれにしても、事業戦略を捉えた動きができる人事の重要性は、間違いなく高まっているんです。
事業戦略を捉えた動きができる人事の重要性は、間違いなく高まっている

【取材後記】

オペレーション偏重の時代から、人事戦略が重要な時代へ――。経済状況の変化や事業のあり方など、さまざまな要因が大きく変化したことで、HR領域に求められるものも大きく変わってきた。佐野氏、吉沢氏はそう話します。では、「戦略人事」に求められる能力とは一体何なのか? どのような経験とスキルアップが必要なのか?後編では、これから戦略人事を目指す方へのヒントをご紹介します。

(取材・文/太田 将吾、撮影/石山 慎治、編集/齋藤 裕美子)