幸せは“実験と責任”から。日立製作所でハピネスを研究する博士の小さなムーブメント

株式会社日立製作所

フェロー, 理事
未来投資本部 ハピネスプロジェクトリーダー
矢野 和男

プロフィール

「仕事のパフォーマンスを最大化させる」と年々注目度を高めている、組織におけるモチベーションやエンゲージメントの重要性。理解はできているものの「数値化が難しい」「すぐに施策の効果が出ない」などと頭を抱えている人事・採用担当者や経営者は多いのではないでしょうか。

そこで今回お話を聞いたのは、「ハピネス(幸福感の度合い)」を研究している日立製作所の工学博士・矢野和男さん。

「組織のパフォーマンス向上にハピネスは大きな影響を与える」と話す矢野さんに、ハピネスの研究をはじめた経緯や、組織に所属する一人ひとりがどうすれば幸せになれるのか、その答えを伺いました。

遺伝と環境に依存しない「ハピネス」は、挑戦の源になる

矢野さんはどのような経緯で、ハピネスの研究を始められたのでしょうか?

矢野氏:きっかけは15年前のことです。私が20年間携わっていた半導体事業から離れるタイミングで「これからの時代はデータが重要になるのではないか」と直感しました。まだ、携帯電話のインターネット機能をiモード(※)が担っていた2004年のことです。

※iモード(i-mode)とは、NTTドコモの対応電話でメール送信やインターネット閲覧ができる、世界初の携帯電話IP接続サービスのこと。

遺伝と環境に依存しない「ハピネス」は、挑戦の源になる

「将来的に大成するような、新しい研究テーマは何か」と考え始めて、まずは身体の挙動を24時間分析できるウェアラブルセンサーを開発し、私自身を実験台としてデータを取りはじめました。今でもそのセンサーは左手に着けているんです。

10年以上も記録され続けているのですね。それからどのようにハピネスの研究にたどり着いたのですか?

矢野氏:ビジネスに活かせるデータとして何がいいのだろう…と考えたときに、当初は「チームの業績を客観的に示す利益・売上」を基準にしようとしましたが、断念しました。これらは社会的な状況・時代背景にとても左右されますし、短期的に上がれば良いとか、下がればダメというのは一概には言えません。

そこで見つけたのが「ハピネス」でした。根本的な人間の良い状態・悪い状態を表す指標とは、「幸せ」なんじゃないかと思ったわけです。それから私は、幸せになれる12個の行動習慣を書いた本『幸せがずっと続く12の行動習慣』を執筆したカルフォルニア大学のソニア・リュボミルスキ先生と、「フロー」を長年研究している心理学者のチクセント・ミハイ先生に会いにアメリカへ行きました。人の幸せについて最先端の研究をしているお2人とは、ハピネスに関係する共同実験も行いました。

研究をする

アメリカでも日本でも、「ハピネス」にまつわる多くの実験をされたと思うのですが、私たちはどうすればハピネスな状態になれるのでしょうか?

矢野氏:幸せには大きく分けて3つの要因があります。ひとつは遺伝的な要因や幼児体験などの影響で、大人になってからはなかなか変えられない、「固い」部分です。

もうひとつは環境的要因にあって、これは置かれた環境から与えられるもので、ボーナスが上がったり、宝くじがあたったり、SNSで「いいね」が沢山ついたりしたときに感じる幸せです。その瞬間は嬉しいのですが、あっという間に元のハピネスレベルに戻ってしまいます。こちらは「柔らかい」、持続的ではない幸福です。実は環境から与えられる幸せは非常に脆いものなんです。

遺伝的要因は変化がしづらく、環境要因は変化はするけれど幸せが続かないのですね。

矢野氏:そこで3つめの幸せが登場します。これが「持続的な幸せ」です。我々は、日々のちょっとした習慣や行動によって幸せになることができるんです。

それでは持続的な幸せを手に入れるにはどうすればいいのか? その答えのひとつが「周りの人を幸せにする行動習慣を身につけること」なんです。たとえば「落とし物を拾ってあげる」「ユーモアで相手を和ませる」など、ちょっとした心がけで行える「利他的な行動」が「自身の幸せ」を得る最も有効な手段であることがわかってきました。

継続性

また、とある実験で2万8千人を対象に「今、どんな気分ですか?」というシンプルな質問を行った結果が報告されています。その中で、「今の気分はいまいちです」と答えた人は、その数時間後にどのような行動をとったかと思いますか?散歩や気晴らしに時間を使っていました。一方で、「今の私はハッピーです」と答えた人は、「大変で、面倒くさくても、大事なこと、やるべきこと」に時間を使っていたのです。つまり、幸福度が高い人は自分を変革するような、チャレンジングな行動をとるようになるのです。

幸せが挑戦の源になっていると。

矢野氏:そうです。人が積極的に挑戦するには、「精神的な原資」が必要であり、その源になるのがハピネスなのです。組織運営において非常に重要な指標になると考えられます。

「動作のバラつき」から組織の幸福度を診断する

日立製作所では人の持つ「ハピネス」をどのように測定されているのでしょうか。

「動作のバラつき」から組織の幸福度を診断する

矢野氏:ハピネスは専門的な機器を使わずとも、今はスマホで測定できます。スマホの加速度センサーのデータで「その人が周りの人を幸せにしているか」を、体の動きでわかるようになったのです。

体の動きでわかるとは、どういうことでしょう?

矢野氏:日常生活において人間はずうっと動かないことはありません。頷いたり、揺れていたり…と何かしらの動作が時々起きています。我々が行った実験において、複数の職場の計468人に「今週幸せな日は何日ありましたか?」「孤独だった日、楽しかった日はどのくらいでしたか?」など、幸せに関する計20の質問をして、1問につき0~3点で採点してもらったんです。この採点により、60点満点で職場ごとの平均点数が出るので、点数が高いとハッピーな職場、低かったらアンハッピーな職場と、組織の幸福度を数値化しました。

そこにスマホで測定した体の動きのデータを照らし合わせれば、良い状態の職場の動きの特徴、悪い状態の職場の動きの特徴がわかる。随時「あなたは幸せですか?」とアンケートを取らなくても、動きを見るだけで職場がハッピーかそうではないかがわかるようになったんですよ。

人間の細かい動きでわかるんですね。ハピネスな職場とそうではない職場にはどのような違いがあったのですか?

ハッピーな職場の体の動きは、バラつきが大きい

矢野氏:ハッピーな職場の体の動きは、バラつきが大きいんです。短い動きから長い動きまですごくバラつきがあります。止まったり動いたり、一回動き出してから止まるまでの時間も定まっていない。動く場合もあれば止まっている場合もある。一方、アンハッピーな職場の人たちは、一回動き出してから止まるまでの時間が無意識のうちに、いつも揃っている。つまり同じような行動をとっているんですね。

動きがバラバラの方が組織に統一が取れていないのでは、と思ったので意外でした。アンハッピーな職場は座ってばかりでハッピーな職場はオフィスを活発に動き回っている、とも言えるのでしょうか?

矢野氏:いえ、目に見える動きの量とは関係がありません。よく動くかどうかは、主に、その人の仕事によって決まります。しかし、デスクワークで同じような態勢だったとしても、幸せな組織であるほどその時々の状況によって動きが持続する時間にバラつきがあるんですよ。状況によって行動が柔軟に変化しているともいえます。

詳しく調べると、動きにバラつきが大きい人の周りには、幸せと感じている人が多いこともわかったんですよ。加えて、会話も発言も双方向にしている傾向もありました。

このような傾向を踏まえてメンバーの体の動きを分析するだけで、組織が良い状態かどうか、組織の健康診断のようにわかるのですよ。

組織の健康状態

体の動きは、『Happiness Planet(ハピネスプラネット)』というアプリをダウンロードすれば測定できるようになります。また、このアプリは体の動きの測定機能に加えて、「どうすれば周りの人をもっと幸せにできるのか」を支援する機能も入っています。

周りの人を幸せにできるように支援する機能とはどのようなものでしょうか?

矢野氏:すごく簡単な仕組みで、朝になると「今日はどんなことに挑戦しますか?」とアプリが質問してくれるのです。その日挑戦することは、アプリ内の挑戦項目から選んでも、自分で考えて入力しても構いません。1日3時間だけスマホを身に着けると、「特定のチャレンジを選んだ数日前より、周りの人を幸せにしているか」を評価してくれます。

そして、このアプリ上で効果が高いとされている挑戦項目は「会話にユーモアを取り入れる」や「学びの場を楽しむ」。これぐらいの些細な取り組みなんです。このような、明日からできる簡単な取り組みの結果、自然と他者に貢献でき、幸せになる第一歩を踏み出せるんです。

幸せな働き方改革は、実験と責任と小さなムーブメントから始まる

ハピネスは周りの人を幸せにして、精神的な原資にもなると。

矢野氏:ハピネスの効果はそれだけではありません。幸福度の高い人たちの営業の生産性は30%も高いことがわかっています。さらにクリエイティビティは約3倍にもなる。先ほどもお伝えしましたが、挑戦したいという意欲も高まることがわかっています。

また、会社を選ぶ上での一つの指標としてもハピネスが広がってほしいと思います。会社の利益や売上と並んで、ハピネスレベルが出ていると参考になりますよね。きっと多くの人が、周りを幸せにする人たちが集まる会社に入りたいと思うはずですから。

昨今は政府主導で「働き方改革」が推進されています。特に「労働時間の削減」が唱えられていますが、矢野さんはこの方針についてどのようにお考えですか?

幸せな働き方改革は、実験と責任と小さなムーブメントから始まる

矢野氏:労働生産性の分母である「労働時間」と、分子の「付加価値」への考え方が重要ですよね。ただ単に労働時間を短くして分母を小さくしても、それに従って分子も小さくなったら生産性は何も変わりません。むしろトータルのアウトプットが少なくなります。そのため分子の「付加価値」を大きくすることが何よりも必要です。

そのためには社員全員が「実験や学習」に積極的になるとよいのではないでしょうか。上の人がつくったルールを守るだけでなく、常に何かに挑戦して、工夫をする。そのように付加価値をつける仕事に変えないと組織の生産性は上がりません。今は、自分で考える人と言われたことをやるだけの人の二極化がどんどん進んでいますが、これは非常に不健全な状態なんです。

上下関係がハッキリしているよりも、フラットな組織の方が幸せに近づけるのでしょうか?

矢野氏:いえ、フラットだから必ずしも良いという訳ではありません。組織の形態は仕事によるので、業務に最適な形であるのが理想です。大切なのは、目に見える階級ではなく、一人ひとりに実験のできる権限と責任があること。このようにチャレンジングな姿勢は幸福にも大きな好影響を及ぼします。スタートアップ企業のようなチャレンジングな会社を日本全体で奨励・助成することが大事だと思います。

しかし、チャレンジングな組織の形はすぐに広まらないことも事実です。だからこそ自分自身の周りで小さなムーブメントを起こしてください。まずは所属するチームを幸せにする、そこで結果が出れば部署全体を、会社全体を幸せにする。この動きが各地に広まることで、閉塞感のある日本全体の雰囲気が大きく変わると信じています。

小さなムーブメント

【取材後記】

日本企業の生産性が問われる今、労働時間の削減だけではなく、あらゆる方面から「働き方」へのアプローチが求められています。今回は、そのアプローチの一つとして、矢野さんは「ハピネスの向上」を提案してくださりました。

「人との関係性の中でしか幸せは生まれない」

矢野さんはそう語ります。幸せになるには、周りの人を幸せにするような小さな行動習慣を意識すること。そして近くの仲間をハピネスの輪に巻き込み、そのムーブメントを社内、会社の外へと広げていけば幸せは着実に伝播します。この記事が、組織の好循環を生む一つのヒントになれば幸いです。

(執筆/須崎 ちはる、撮影/飯本 貴子、取材・編集/田中 一成(プレスラボ)、齋藤 裕美子)