塩尻市と日本一おかしな公務員。ハイクラス人材×副業が地方創生を活性化する
地方創生。その言葉にどんなイメージを思い浮かべるだろう。各地域がそれぞれの特徴を活かして、自律的かつ持続的な社会を創生するプロジェクトなどを指すが、その成功事例はいまだ多いとは言えない。そんな中、長野県塩尻市役所の地方創生推進課は、パーソルキャリア(東京都千代田区)の展開するハイクラス人材のキャリア戦略プラットフォーム「iX(アイエックス)」(現:doda X)と提携し、副業限定の特任CMO・CHROを募集。地方創生の活性化と成功につなげている。
特任CMO・CHRO募集。副業人材活用で地域課題解決に取り組む塩尻市
2018年1月、厚生労働省は「副業・兼業の促進に関するガイドライン」を公表。この公表に合わせてモデル就業規則が改定され、副業禁止規定が削除された。さらに「副業・兼業」という章を設けて条文を例示し、会社の利益に反するようなことがない限り、「副業・兼業」は自由であるとした。そして2020年7月2日。政府は、「まち・ひと・しごと創生基本方針2020」の原案を明らかにし、地方創生に向けた取り組みの方向性を示した。新型コロナウイルスの感染拡大により移住への関心が高まっていることを踏まえ、地方へのサテライトオフィス開設やリモートワーク(職場以外での勤務)を後押しし、東京一極集中の是正を目指すものとしたのだ。
上記を受けて、各自治体では時代の変化をキャッチアップした地方創生実現に向けた取り組みを加速化させる一方で、その実現の難しさも叫ばれ課題点も浮き彫りとなっている。その中において独自の取り組みで活性化を図る地方自治体も増えてきた。長野県塩尻市は、そんな成功事例をつくった地方自治体のひとつだ。
日本一おかしな公務員が推進する地方創生プロモーション
さて、話を遡ること2019年11月。長野県塩尻市役所の企画政策部地方創生推進課は、パーソルキャリア(東京都千代田区)の展開するハイクラス人材のキャリア戦略プラットフォーム「iX(アイエックス)」(現:doda X)と提携し、副業限定で2つのポジションを募集した。その特徴としては、全国から応募可能なこと、そしてリモートワークを中心とした仕事になること。仕掛け人は、「地域に飛び出す公務員アウォード2013」で大賞を受賞するなど、「日本一おかしな公務員」の呼称とともにメディアからも注目を集め、現在でも同市市役所に勤務する山田崇氏である。
募集ポジションは、特任CMO(最高マーケティング責任者)と特任CHRO(最高人事責任者)。CMOは、塩尻市の魅力を全国に発信するために、プロモーションも視野に入れたブランド戦略の立案を行う。一方のCHROは、市内中小企業の人材に関する課題解決のために、塩尻市の担当が描いた戦略や戦術に対してアドバイスを行うポジションである。報酬は、固定報酬に加え、塩尻市内に立地する全17のワイナリーから、今回のために特別にセレクトしたスペシャルワインセットなどが贈呈されるというものだ。
山田氏を筆頭に企画政策部地方創生推進課の掲げるミッションは、特定の地場産品だけをブランド化するのではなく、地域全体をブランド化し、市内外に発信、移住・定住の促進をしていくこと。たとえば、地域で活動する人同士がコミュニケーションし、市民発のイノベーションを生み出す拠点「スナバ」の運営や、民間企業と市職員が協働して地域課題の解決に取り組むプログラム「MICHIKARA(ミチカラ)」など。さまざまなプロジェクトを立ち上げてその地域ブランド確立のため推進していくのである。
「地方創生のコアは、まずはかかわってもらう人を創出すること。彼らに集まってもらいやがてコミュニティーが結成される。そこで生まれるイノベーティブこそが地方創生のためのプロモーションや活性化につながっていくのです」と山田氏は述べる。
副業限定で外部からハイクラス人材を募集
CMOとCHROの求人には、地方創生を担うプロジェクトに参画し地域の課題解決を目指す重要な役割に携われるとして、2名の枠に対し東京を中心に103名の応募があった。厳選な選考を重ねた結果、CMOには現ボルボ・カー・ジャパン株式会社(東京都港区)のシニアディレクターである関口憲義氏が就任。マーケティングとブランディングに長年携わり、広告代理店に勤務した経験も持つ人材だ。一方のCHROには、人事系の企業の顧問やスタートアップ企業の立ち上げなどを手掛けてきた、カフェ・カンパニー株式会社(東京都渋谷区)取締役の田口弦矢氏が就任した。いずれも各業界の第一線で活躍するハイクラス人材なのである。
次項では、塩尻市の地方創生活動の旗振り役となった山田氏と、特任CMOとして活躍された関口氏により、これまでの活動内容と所感を伺い、ハイクラス人材がいかにして地方創生プロジェクトにかかわるのか、そのプロセスと事例を語っていただこう。
ハイクラス人材×副業がもたらした地方創生のシナジーとは
山田氏:2015年に「第五次塩尻市総合計画」という9カ年の計画がスタートし、私は地域ブランドプロモーションにかかわる者として6年間従事しています。塩尻市の地方創生事業の代名詞ともいうべき官民連携プロジェクト「MICHIKARA」がスタートしたのもその時期からです。当時MICHIKARAでは、木質ペレットや太陽光などの新エネルギー問題や新設した体育館の活用法、出産後の女性復職支援、ICT活用などの課題を取り扱っていました。国や自治体での先行事例がない中で、これらの課題をいかにオープンにして民間と連携をとっていくかがポイントでした。さらに企業の人材開発の一環として、企業側の新規事業の一環としてかかわってもらう仕組みを構築できていたため、多くの知恵が集まり、新しい価値が創造される場として機能することができました。そして民間側から活躍していただいた人は、また本業に戻りさらなる大活躍をするというメリットも生みました。
しかし一方で、我々は事業のアイデアをいただき塩尻市役所職員の人材育成にもつなげてきましたが、プロジェクトが完了してそこで彼らとの関係性が終わるのは切ないと感じました。もっとかかわってもらいたいと。そこでパーソルキャリアと連携して、今回のハイクラス人材による副業という仕組みができていったのです。そのポイントは、企業からの出向ではなく個人の意思で参加ができる仕組みであるということ。これらの条件に合致してご縁を持てたのが関口さんや田口さんだったというわけです。
長野県塩尻市役所にてシティプロモーションを担当している山田崇氏
関口氏:私はいわゆるブランド屋として、クルマメーカーや大手電機メーカーなどのブランド構築のマーケティングを手掛けてきました。塩尻市との最初の出会いは、SNSで見かけた同市の地方創生の取り組み記事です。地域ブランディングを課題にしている地方自治体の取り組みや考え方に、これまでの私のキャリアであるマーケティングの手法と重なるものがあったわけです。私は常々地域活性化のために何らかの形でかかわれないかと考えていたのですが、本業に忙殺されそれが叶うことがなかなかありませんでした。しかし今回のお話は、期間限定であり、かつ副業として個人でかかわれること、そして時代の流れもありこれらのプロジェクトにはリモートで参加するというものでした。この企画だったら自分にも何かできると感じ即応募してみようと思ったのです。
面接では、地方創生にかける自分の想いやマーケティングで培ったスキルがいかに塩尻市の役に立てるかを語らせていただきました。たとえば低経済成長下での地方創生を考えるとき、損益計算書(PL) ではなく、貸借対照表(BS) の視点を採り入れてはどうかとお話ししました。つまりGDPでは伸び悩んでいても、塩尻市の持つ土地や歴史的資産、文化的価値というものが実質的に減っている訳ではない。資産が目減りしないのであれば、日本は人口が減少しているわけですから、一人当たりに直せばむしろ増えていることになる。それを見いだし価値創造に生かしてはどうかということを提言しました。
私は副業のお話をいただくまで、塩尻市には縁もゆかりもなかった。しかし実際に足を運んでみると土地も資産も素晴らしいポテンシャルを秘めている。塩尻市は物凄い鉱脈を持っていたということがわかりました。実はこうしたブランドの価値や魅力は内部からでは見えにくい。「そこにあること」があまりにも当たりまえなので、冷静に自分たちのよさを客観視できにくいのです。これが外部の視点が必要という所以です。そのようなことを、山田さんと課題を抽出しながら深掘りしていったのです。
山田氏:塩尻市の人口は約6万7000人。この人口規模とサイズ感がポイントだと思います。よくある話ですが、政令指定都市80万人以上の自治体だと、同じ市役所で働く職員の顔も名前も把握していない、あるいはわからないということはざらです。特に大都市圏ともなると、そもそも所管エリア内に職員が住んでいないということも起こり得るわけです。つまり当事者意識を持ちづらい環境が発生しています。市民との距離や隣の部署が何をやっているのかわかるギリギリの規模で、適切に動ける身軽さも持ち合わせている――。これらの面で塩尻市は最適だったというわけです。
関口氏:参画してみてまず驚いたことは、塩尻市役所で働く職員さんは非常にフットワークが軽いということ。一つひとつのプロジェクトでPDCAがよく回っているのです。これまでは市役所に対するイメージはパッシブだったのが、プロアクティブという印象に変わりました。皆さんものすごくよく動いて、よく連携している――。たとえば、新型コロナウイルス感染症緊急対策による特別定額給付金の手配は非常にスムーズだったし、アベノマスクに先行して市で独自にマスクを配布していたと聞いています。新しいイノベーションに取り組むカルチャーがすでに生成されているんでしょう。だから私も山田さんがこれまで市役所内外に築いていらしたネットワークを活かして活動の幅を広めることができました。小さくても緊密で動きの早い組織に仕上がっているんです。
塩尻市役所特任CMOに就任された関口憲義氏
山田氏:関口さんに参画していただいた2020年は、ハイクラス人材×副業の在り方をどのように洗練していったらよいのか、さらに活用するにはどんな施策が必要なのかを改めて推敲できる期間となりました。当初ハイクラス人材の求人内容は、仕事のミッションなどがボヤっとしていました。数ある地域課題の中でまず何から手をつけようか…という状態だったのです。地方創生は2015年から手掛けてきましたがその棚卸の期間でもあったので、課題を一つずつ抽出して精査。その過程で関口さんには洗いざらい何でもお話ししました。そのプロセスまで共有したわけです。
私はこれまで担当者であるがゆえに視点の狭さが弱点だと感じていました。外部からやってきた関口さんがその世界を拡げてくれたのです。在任中は、毎週1回リモートでミーティングに参加してもらっていたのですが、リモートで聞いていただけるだけで安心感を覚えました。塩尻市市民に提供するサービスや施策に対して、どうすれば喜んでもらえるかなどについて第三者視点を私自身が意識できるようになったわけです。これは大きな収穫でした。
関口さんは挑戦していく自治体を応援したいという気持ちがある。それはどこかに外部委託して進めていくものとは違うわけですね。多様な人材が街づくりをしていくモデルを示してくれたのです。関口さんからのアドバイスにより、こんな気づきを得ました。それは「シティプロモーションは、担当者だけのプロジェクトではない。全庁の職員全員により手掛けていくことが大事であること」です。また、少ない人材と予算の中でどう塩尻市を売り込むのか、そのためには内部統制も大事だと教えてくれました。それにより、たとえば職員が共有事項を毎週イントラに上げるように仕組みづくりを行い、次期は組織全体で挑んでいく体制も構築も検討しはじめました。
関口氏:私は週1回リモートでミーティングに参加し、上がってくる議題に対して何らかのアドバイスや課題解決のための提言を差し上げてきました。たとえば、「お金がなくてブランディングしたい場合は、このような手法でメディアを活用されてはいかがでしょうか」といったことです。マーケティングでは、まず第一にターゲットは誰かを明確にしなければなりません。市役所のサービスを受けるのは当然市民ですから、市役所と言うのは基本的に市民の方を向いています。しかしシティプロモーションやブランディング活動というものは、実は市外の方がターゲットになるわけです。市外に向けて誰に何をどう発信するかを考えていくことから始める作業が大事なのです。こういった発想や視点は市役所の中からでは生まれにくい。繰り返しになりますが外部の視点を採り入れなければ活きてこないのです。
コワーキング、アクセラレーター、リビングラボの機能を有した塩尻市のシビックイノベーション拠点「スナバ」での打ち合わせ風景
山田氏:新しい視点といえば、ボルボ・カー・ジャパンのお客さま向けサイトで塩尻市を紹介していただいたことも記憶に新しいです。
関口氏:私が感銘を受けた場所や取り組み、塩尻市の魅力について積極的に外へ発信していこうという意図はありましたから、手持ちの手段で塩尻市とボルボがwin-winの関係になるものはできるだけ活用していきました。
また、一般的に地方自治体がブランディングを考えるとき、まずは公募を掛けますよね。応札するのはノウハウを持っているコンサルや広告代理店が多い。しかし地方自治体の使える予算というものは、大企業が手掛けるプロモーション予算と比べると比較的少額です。応札者にとっては、予算の小さな案件として扱われるケースが往々にして発生してしまいます。すると工数をかけたくないコンサル会社としてはテンプレートや過去のパターンを適用しがちになります。
しかし地方自治体にとっては虎の子の予算であるため、要求水準は自ずと高くなりがちで、ここで温度感が違ってくるのです。こうしてギャップが生まれ、地域課題へ深く踏み込んだソリューションは成りたち難くなってしまうのです。たとえば地方に旅行に行くと、どこの道の駅にも名産品をフィーチュアしたサブレが売っていますよね。あれが顕著な例です。しかし、旅行者にしてみれば「どこにいっても手に入るもの」は一番欲しくないものです。無難な施策がそのまま形になってしまっても、ワークしにくい一例と言えると思います。
今回の副業には「塩尻市側の人材」として参画できることに意義があると思っています。市側のステークホルダーも、余所からやってきたコンサルの人間ではなく、塩尻市の職員として受け入れてくれたから私の話を聞いてくれた。本業としてではない、個人がこれまでの経験やスキルとともにその想いを乗せて活動できることが、今回のミッション推進のポイントだったのではないかと考えています。
人が集まる場所、意見を交わす場所を創出することがビジネスイノベーションを生む
塩尻市は、今回の「ハイクラス人材×副業」の事例を持って、総務省の「関係人口創出・拡大事業」の公募に応募し、全国25の採択団体の一つに選ばれている。長野県の77の市町村の中では唯一の選出だ。それに伴い「塩尻CxO Lab」プロジェクトを同時期に発足させたのだ。これは、都市部の社会人を対象とし、オンラインコミュニティ・副業を通じて継続的な関係人口プラットフォームを構築し、地域外のプロフェッショナル人材と市内シビックイノベーターが協働で地域の課題解決に取り組むというもの。今回の事例を受けて塩尻市はもちろんリモートワーク、短期就任、副業をキーワードに引き続き展開していく構えだ。
詳細を少し紹介すると、塩尻市とオンラインコミュニティでつながり、これまで培ってきた骨太の課題解決のための問題点抽出作業や課題設定の研修の場を整え、内外一体となって地域課題を解決していくという取り組みである。また、関口氏をプロジェクトメンバーに再び迎え入れたい意向だという。
現在、この取り組みには25名のプロフェッショナル人材に参画してもらっているそうだ。関口氏、田口氏といった二人のハイクラス人材活用は、地域にとっても個人にとっても非常によいシナジーを生むとにらんだためである。ハイクラス人材活用をいわゆる「塩尻モデル」として全国へ展開していく狙いだ。
このインタビュー中で、山田氏は「関係人口の創出が重要」と繰り返しコメントする。関係人口とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、特定の地域に継続的に多様な形でかかわる人とされ、課題の構造化とあるべき姿を設定し、地域外のプロ人材いわゆる関係人口の創出を図り、地域人材と連携し、地域課題の顕在化を進めていく人材と定義している。地域密着型の小さな生業であるコミュニティビジネスが生まれることを期待する。そんなキーマンが関係人口である。この関係人口を創出しかかわってもらうことで生まれるイノベーションが、まさに地方創生や活性化につながるというわけだ。
最後にこのハイクラス人材が副業をすることへのメリットを二人に語ってもらった。
関口氏:「自分のキャリア開発に興味ある方、あるいは組織の中でもがいている方、可能性の模索に悩んでいる方にぜひ副業をおすすめしたい。私は自分のこれまで歩んできたキャリアやスキルが、塩尻市の市民の役に立っているという実感も持てました。さらにこの経験は本業にもよい影響を与えてくれました。2足のわらじを履いて広がる世界はとても新鮮でした」。
山田氏:「新卒で就職して、定年まで働くという選択肢が当たり前だと思っていましたが、今回のプロジェクトを通して、改めてそれが普通ではなくなっていることに気づきました。また本来のビジネスの手法であるのですが、課題解決に対してのプロセスを踏むことで『わからないことがわかる』という爽快感も味わえました。いま世の中がどうなっていくかが見えない時代だからこそ、少し勇気を出して踏み出していこうとする姿勢が大事なのではないでしょうか。副業する関口さんたちから改めてそれを学びました。不安だから飛び込んでみるという発想もいい。自分の故郷や地元じゃないからこそ得られるものがあると思います。ぜひあなたの新しい視点や発想を副業先にもたらし、イノベーションを起こしてください」。
取材後記
官民の連携が副業という形でシナジーを生んだ事例を見ていただいた。取材を通して感じたことは、何より関口氏が塩尻市のファンになって積極的に同自治体をPRしていることだ。まずはファンを増やしていく。そうして生まれるコミュニティーが地方活性化につながっていくのだろう。いま現在、副業を迷われている方は、さまざまな世界を拡げ、得られるものが多いこうした取り組みに参画してみてはいかがだろうか。きっと自分の知らない視点や新たなスキルが備わってくるはずだ。
取材・文・編集/鈴政 武尊、田中 愛子(d’s JOURNAL編集部)