男性育休取得率100%が採用競争力にも。スタートアップに学ぶエンゲージメントを高める人事施策

株式会社10X (テンエックス)

取締役CCO 中澤理香(なかざわ・りか)

プロフィール

育児や介護と仕事の両立支援に向け、2022年4月に「育児・介護休業法」が改正される運びです。しかし、男性の育児休暇取得率は日本全体でまだまだ低い水準と言えます。そんな中、男性の育休を推進し、育休取得率100%を実現しているのが、スタートアップ企業の株式会社10X(テンエックス)です。

2017年創業の同社は、スーパーなどの小売チェーンが初期投資不要でECを立ち上げられるプラットフォーム「Stailer」(ステイラー)を、2020年より提供開始。コロナ禍でECニーズが高まる中、イトーヨーカドーやライフなどに次々導入され、事業は急成長を遂げています。

通常、小規模組織かつ業務多忙なスタートアップ企業は、育休取得によって貴重な戦力が減ることにリスクを感じるはず。社員40名弱の同社が、なぜ育休を推進し、それによってどんな成果を得ようとしているのか、同社の取締役CCO中澤理香氏に伺いました。

CEO自身が育児・家事で苦労した実体験を基に、家庭を大事にする人事制度を策定

──育休をはじめ、貴社が福利厚生の充実を図るようになったきっかけを教えてください。

中澤氏:当社代表の矢本が、育児や家事の負担を減らしたいという想いを持っていたのが出発点です。矢本は2児の父で、前職時代に第2子が誕生し、育休を取って家事を全部こなしていた時期がありました。

そのときに、毎日食事をつくるのがいかに大変か痛感したようで、特に苦心したのが、栄養バランスに気をつけながら1週間の献立を考えなければならないことでした。そこで、主菜・副菜・汁物のレシピを選択して簡単に献立がつくれるアプリ「タベリ―」(※)を開発し、事業化したのです。

(※)2020年9月30日にサービス終了。

 

生活の中にある問題を解決したいという矢本のモチベーションは、その後も変わっていません。「Stailer」を開発したのも、小売業のEC立ち上げを支援することで、忙しい中でも毎日スーパーに買い物に行かなければならない不便さを解消できるのではないかという問題意識からです。

Stailerのリリース以降、事業の方は順調に動き出し、採用を通じた組織拡大も進めている中で、家庭生活を快適にしようとしている会社なのだから、社員の家庭やプライベートを大事にしていることも改めて制度にまとめようという話になり、2021年に新たな人事制度「10X Benefits」を制定しました。

これは、社員が長期的に安心して働けるようにするための人事制度で、出産・育児や介護の支援、男性育休も積極的に推進していく内容になっています。

──一般的に、スタートアップ企業は人の入れ替わりも多いようですが、貴社の人事制度は社員が長期的に働くことを前提にしているということですね?

中澤氏:10Xが向き合っている小売は非常に大きく歴史もある業界で、新たなECを普及させていく事業には、10年以上の期間が必要だと思いますし、経営陣も長期視点で腰を据えて事業を拡大させていこうと考えています。

採用においてもそれを念頭に、短期の成果だけでなく、当社のバリューやミッションに共感してもらえる方を採用していますし、入社いただいた方には、ぜひ長く楽しく働いてもらいたいと考えています。

男性育休100%。日常から業務の属人化を防ぎ、育休体制を整えておく

──新しい人事制度「10X Benefits」のポイントを教えてください。

中澤氏:国が整備している出産や育児休業・介護休業の給付金や一時金にプラスして、サポート金の支給や休暇を付与する他、病児保育や病児看護に対するサポートなども手厚くし、パパママ世代が働く上での障害や不安を取り除くように設計しています。

例えば、出産・育児休業のサポート金として、最大70万円が支給されますが、これは前払いすることにしています。育児休業給付金の初回振り込みは通常、出産から4カ月後に支給されますが、そうなると家庭のキャッシュフローに一時的に不安を抱える場合もあるので、それを補うためです。

また、認可保育園に入園できず、認可外保育園に入ることになった場合は、認可保育園の利用料との差額をサポートしたり、子どもの看護休暇として5日間の特別有給休暇を取ることができます。

──家庭の実情に寄り添った、非常に手厚い制度ですね。

 

中澤氏:矢本自身が、週2~3日のワンオペ育児をしているので、自分が苦労した体験に基づいて制度設計してきた部分もありますね。また、単に制度をつくるだけではダメで、制度と企業風土づくりをワンセットで考える必要があります。例えば、男性育休制度があっても、実際にそれを取るとなると結構勇気が必要ではないでしょうか。

当社では子どもが生まれたら育休を取るのが当たり前という雰囲気があり、1カ月の育休を申請した社員に対して「もう少し長く取った方が家庭の負担が少ないんじゃない?」と矢本が勧めたりしています。

──男性の育休取得率100%ということですが、現在はどれぐらいの男性が育休を取られていますか?

中澤氏:今年育休を取った男性社員が4名いる他、今後ももう1名、育休に入る予定です。4名のうち3名は、半年間の育休を取りました。

当社に転職してくる男性の中には、近々子どもが生まれることがわかっていて、「入社してすぐに育休を取ることになるのですが」と相談される方もいます。当社にとっては長期的に成果をだしていただきたいのに、直近の不安という問題で最適な人材を逃すのは大きな損失ですから、そういう要望はむしろウェルカムで、「ぜひ来てください」とオファーしています。

実際に今年育休を取った男性社員も、選考途中に入社から数カ月後に育休を取りたいと相談をいただき、実際に取得・復帰をしています。

──会社が発展期だと人のやりくりも大変だと思いますが、育休取得時の仕事の調整や人の手当はどうされていますか?

中澤氏:当社の場合、比較的短期のプロジェクトをいくつも動かしていて、アサイン制でチームをつくることが多いので、誰かが育休を取ることがわかっていれば、その人が抜ける前提でプロジェクトを組みます。突然の病欠と違って、育休は半年ほど前から休む時期がわかるので、比較的調整がしやすい予定だと考えています。

また、当社では、仕事をなるべく属人化させないよう、プロダクトの仕様や意思決定の背景などもドキュメントにして、共有できるようにしています。引き継ぎが決まってから慌ててドキュメントをつくるのではなく、普段からその文化が根づいているので、メンバーが交代してもスムーズに仕事を進められる環境づくりを行うようにしています。

仕事と家庭の両立に悩むハイキャリアが10Xに転職

──育休取得を積極的に進めるようになってから、採用への影響は出ていますか?

 

中澤氏:当社が発信した情報をご覧いただいて、当社のポリシーや価値観に共感して応募したという方も増えています。最近では、プロフェッショナルファームやスタートアップで働いていた方からも、「家族を大事にできる環境」という点に共感いただき応募いただくケースがありました。

チャレンジできて情熱を注げる仕事はしたいが、一方で、30代になり家族が増え、プライベートも大事にしながら働きたいという方に興味を持っていただいたり、応募いただいたりすることが増えました。

会社を選ぶ際の一番の動機は、福利厚生の充実ではなく、事業への興味や仕事が面白そうか、といったことが多いと思います。

例えばベンチャー企業に入りたいというときに、「こんなにアーリーステージの会社に入って家族が心配しないか」「子どもができたらどうしよう」と考えてためらう人もいるでしょう。そういう不安を取り除けるような制度が会社に整っていれば、転職もしやすくなるのではないでしょうか。

──育休を取った皆さんの反響はいかがですか?

中澤氏:「休みを取って本当に良かった」「育休を取っていなかったら家庭が崩壊していた」など、育休に対してポジティブな声をたくさん聞きますね。半年間休みを取っていた人は、「最初の2カ月は忙しすぎてほとんど記憶に残っていないけど、3カ月目以降は家族の時間を楽しむ余裕も少しできたので充実していました」と喜んでいます。

おかげで、本人だけでなく、家族の皆さんも当社のファンになってくださったという話もあって嬉しいですね。

──育休以外に、社員の皆さんが快適に働けるような工夫はされていますか?

中澤氏:ワークスタイルの部分では、固定の出社日などはなく、オフィスかリモートかは業務に応じて自由に選ぶことができますし、必要に応じて出社できれば、住む場所も自由です。また、リモートであれば、ちょっと病院に行ったり急用があったりという場合にも対応しやすいので、「慣らし保育中なのでお迎えに行ってきます」という人もいますね。いろいろなケースにフレキシブルに対応できる環境を整えたいと考えています。

「育児サポートの環境整備が、会社の競争力に結びつく」現実を認識する

──男性の育休取得を推進しようとしている企業へのアドバイスをお願いします。

 

中澤氏:ほしい人材がなかなか採れない採用難の時代です。転職希望者側にしてみると、入りたい会社があっても育児をサポートしてくれる環境が整っていない場合、二の足を踏むというケースも多いのではないでしょうか。つまり、大きな目で見ると育児サポートの有無が、会社の競争力を左右する時代になりつつあるということですね。

まずは経営者や意思決定層がその現実に気づくことが重要で、社員が自社の働く環境についてどう感じているのかを聞いたり、アンケートを取ったりするなどして、制度に反映するという方法もあるでしょう。また制度をつくるだけでなく、会社の風土、カルチャーを見直す作業も必要です。

当社の場合は、CEOの矢本自身が男性の育休取得を奨励してきましたが、男性社員が「育休を取らせてください」と言い出しづらいような雰囲気が社内にあると、いくら制度が整っていても育休取得は進みません。

女性活躍の推進に取り組んでいる企業は多いと思いますが、子どもが生まれたとき、パートナーのサポートがないと育児が足かせになってしまい、退職せざるを得なくなる人もいます。社会での女性活躍を推進する企業であれば、男性の育休推進にも力を入れるべきだと思います。

──女性活躍推進をうたう企業なら、男性の育休推進に取り組むべき…これまでのお話を振り返ると、とてもふに落ちました。働く環境の整備に関して、貴社では今後どのような取り組みを進められますか?

中澤氏: 当社は「10X Diversity & Inclusion Policyを最重要の価値観の一つとして策定し、それに従って多様なバックグラウンドを持ったメンバーの誰もがサステナブルに働ける快適な環境を整えていくことで、それぞれが最大のパフォーマンスを発揮してくれると考えています。男性育休の推進も、あくまでその一つです。

また、このような環境づくりにスタートアップ業界全体で取り組めば、「スタートアップに興味はあるが不安もある」という、自社にとって最適な人材がたくさん来てくれるのではないかと思います。業界のレベルアップのためにも、誰もが働きやすい職場が増えていくといいですね。

 

取材後記

共働きが当たり前の現在、夫婦にとって子育てをどうするかは大問題。会社のサポートが十分でなければ、離職にもつながりかねません。その課題を重視した10Xでは、出産・育児のサポート制度を充実させるのと同時に、代表の矢本氏自らが旗を振って男性の育休を推進し、育休取得の壁となる「休みを取りづらい雰囲気」を払拭しました。

その結果、社員のエンゲージメントが高まるとともに、仕事と家庭の両立を求める優秀な人材が、同社に転職してくるという流れが顕在化してきています。社員だけでなく、その家庭も大事にする制度や社風が、企業の競争力を高める時代が到来しつつあるようです。

企画・編集/白水衛(d’s JOURNAL編集部)、野村英之(プレスラボ)、取材・文/森 英信(アンジー)、撮影/中澤真央