『おおきく振りかぶって』で学ぶ、挑戦できる環境づくり(1)

マンガナイト
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野球やサッカー、バスケットボール、バレーボール…スポーツの中でも、特に高校の部活動は日本でマンガの題材になりやすいテーマです。ひぐちアサ先生の『おおきく振りかぶって』(講談社)もその一つ。お互いをよく知らない人同士が共通の目標を目指す中で、競争の意味や初心者の受け入れ方、メンタルトレーニングに至るまで、野球を通して成長する姿が丁寧に描かれています。本作を読めば、企業における組織運営にも重要なヒントが得られるでしょう。

【作品紹介】『おおきく振りかぶって』(ひぐちアサ/講談社)

女性監督、選手は全員1年生――埼玉県立西浦高校の新設野球部に集まった10人の選手が甲子園優勝を目指す野球マンガ。体づくりから野球技術にメンタルトレーニングまで、取材や参考資料に基づく話をベースに、試合ごとのチーム戦略や心理戦を綿密に描いていく。

初心者にも経験者にも、成功体験を積み重ねられる環境を

『おおきく振りかぶって』(以下『おお振り』)は、埼玉県立高校の硬式野球部を舞台に、1年生だけが集まって、甲子園を目指すスポーツマンガです。中学校で軟式野球部に入っていた選手もいれば、野球に対してより意識が高いシニアチームを経験した選手もいます。

そして、中には未経験で入部する人も。登場人物の西広辰太郎(にしひろ・しんたろう)はまったくの野球初心者です。中学で陸上部に所属していた彼は、高校から野球を始めました。そのため「グローブでボールを捕る」といった基本的な動作も、最初は難しい様子。しかし、部員は10人しかいないため、西広も試合に出る可能性はゼロではありません。まずは、大きく打ち上がったフライを捕る練習から始め、周りの経験者たちも西広に助言をしていきます。

初心者にも経験者にも、成功体験を積み重ねられる環境を1

(C)ひぐちアサ/講談社(『おおきく振りかぶって』第4巻より)

興味があって参加した場所でも、周りとの差が大きい中で失敗や負けが続くと「自分には向いていないのかもしれない」と、その場を去る動機になりがちです。作中では実際に、西浦高校とは別の高校の野球部選手が、能力でも意識でも大きく自分を上回る選手に高校で出会い、「野球をやめてしまおう」と思う瞬間があります。

それを防ぐのが成功体験。自信を失ったり落ち込んだりしたメンバーが「自分はできる」と、実感が持てるような環境を整えることは不可欠です。

実は経験者についても同じことが言えます。監督が外部から招いたメンタルコーチは、技術の習得の場である練習は「成功体験を積み重ねる場所にするべきだ」と提案します。

初心者にも経験者にも、成功体験を積み重ねられる環境を2

(C)ひぐちアサ/講談社(『おおきく振りかぶって』第28巻より)

そのアドバイスを受け入れた結果、監督は練習中にミスをした選手に対して「いいミスだよ!」と褒め、「欠点わかったらそこ練習すればいいんだよ!」と声をかけるようになります。

初心者にも経験者にも、成功体験を積み重ねられる環境を3

(C)ひぐちアサ/講談社(『おおきく振りかぶって』第28巻より)

メンタルコーチが作中で指摘するように、人によってはミスを怒られると萎縮して苦手意識を持ってしまいます。その苦手意識は練習では邪魔になり、試合中にもミスをするイメージを浮かべることにつながるため、結局いい動きができません。部員からもミスを褒められることで「体が軽くなってビックリした」という感想が出てきます。こうした積み重ねによって、常にメンバー全員がプラスのイメージを持ち続けられるような環境をつくることにつながるのです。

もちろんビジネスシーンでは取引先を怒らせる、営業先への提案を失敗するといったミスを褒めることは現実的には難しいでしょう。ただ、社会や経済環境が大きく変わる今は、「失敗するかもしれないような新たな挑戦をしない」という選択肢は考えにくいもの。 たとえばメンバーが「練習」できるような場を用意するなど「失敗しても大丈夫」と思える環境を考えていきたいです。

ただ、人を褒めるのは意外に難しいかもしれません。『おお振り』の場合は野球部の指導ということで、技術などを積極的に褒めればいいのですが、さまざまな利害を持つ人が集まる会社や組織では、人を動かすための褒め言葉も適切に選ぶ必要があります。たとえば『やる気を引き出す!ほめ言葉ハンドブック』(PHP文庫、本間正人・祐川京子共著)には、相手が重視しているところを見抜き、具体的に褒めることの重要性が指摘されています。ビジネスシーンならどういった言葉が適切なのか、改めて考えてみてはいかがでしょうか。

チーム内を引き締める、適切なライバルづくり

チームメンバーの誰もが自信を持って前に進むことができる環境が整えば、その中でさらに個々人の力を伸ばすことが求められます。その手法の一つが、チーム内でライバルを意識させること。チームのメンバーは、共通の目的に向かって協力する相手であると同時に、競い合う相手なのです。

『おお振り』では、花井梓(はない・あずさ)と田島悠一郎(たじま・ゆういちろう)の関係が特徴的です。中学時代に主将を務めた強打者・花井と、シニアの強豪チーム出身の田島。いずれも10人の部員の中で頭一つ抜けた野球の技術と運動能力を持ちます。ただ、試合を重ねる中で田島の力を目の当たりにした花井は、無意識に「2番手でいい」と思い始めます。その中で花井を育てるために監督は、意図的に花井に田島をライバルとして意識させます。

チーム内を引き締める、適切なライバルづくり

(C)ひぐちアサ/講談社(『おおきく振りかぶって』第10巻より)

明確に描かれているわけではないのですが、花井はさまざまな人に対して勝ち負けでものを考えるタイプ。監督は花井の考え方から、ライバルがいる方が前に進むモチベーションを持ちやすいと見たのでしょう。チームにおける攻撃の主軸として「ホームランを打てる」ように助言していきます。
一方、田島はどちらかというと過去の自分と比べて、何ができていて何ができていないかを考えるタイプ。もちろん体格的に優位な花井をうらやむことはありますが、それよりも自分に求められる役割と何ができるかを考えて前に進むタイプとして描かれています。

ただ、注意すべきはこの「ライバルを意識させること」が全ての人に対してうまく機能するわけではないということ。花井のように過去の経験と実績から自分に自信があり、信頼する人からの叱責を奮起のきっかけにできる人に対しては、身近なライバルを設定することは有効ですが、周りに比べて劣等感を持つ人や自信がない人に対しては逆効果となります。

『おお振り』でも、監督は花井にはこのプレッシャーをかけ続けるものの、他の部員に対して同じようにするところは描かれません。ライバルを意識させるのは、その方法が有効な相手に限るということです。

過去の「成功」は、目の前のメンバーに合わせて応用する

これ以外にも、チームづくりやメンバーを鍛えるにはいろいろな手法があります。さまざまな方法を取り入れる上で重要なのは、過去の失敗・悪習慣を繰り返さないことです。特にメンバーの心身・健康を害するようなことは、むしろ積極的に取り除いていくべきだといえるでしょう。

『おお振り』では女性監督が主導で指導していたチームに、監督の父親がコーチとして加わります。彼は東京の強豪校出身で、甲子園の出場経験がある元投手。最初にグラウンドに現れたコーチが明言したのは、「自分はスパルタの中で野球をしてきたが、同じ方法では指導しない」ということ。

過去の「成功」は、目の前のメンバーに合わせて応用する

(C)ひぐちアサ/講談社(『おおきく振りかぶって』第23巻より)

自分自身は精神的にも肉体的にも監督に追い詰められながら選手として成長したものの、大学で肩を壊して選手をやめたコーチ。仲間にも故障でやめた選手がいることから、練習に負荷をかけつつも、けがをさせないことを第一に考えたトレーニング方法を提案していきます。「どこまで選手を練習で追い込むか」を巡り、選手側と対立する場面があるものの、提案する内容はいずれも故障させない=選手生命を終わらせないことを重視するものです。

監督の父親が選手だった時代は、チームの人数も多く、練習についてこられない人を選別し、目的(=試合での勝利)にかなう選手を極限に追い込むような練習で鍛えていたのでしょう。しかし、その方法によって、けがなどで選手生命を終わらせたことも事実。彼が教える西浦高校には、ついてこられない人を切り捨てるほどの余裕もありません。

これは企業など、他の組織でも同様です。成功につながっていた過去の経験や蓄積は、当時の目的には機能していたかもしれません。しかし、監督の父親の仲間のように、ついていけなかった人はいました。過去の成功体験を引きずりすぎて、目の前のメンバーに逆効果になるようでは「過去の成功例を活用する」とは言えないでしょう。むしろ、経験や過去の成功例を分析した上で、今の時代やメンバーに当てはめ、どのように応用できるのかを考えることが求められます。

「厳しい環境を自分は乗り越えられた。だから他の人も大丈夫だ」と思い込まず、常に今目の前にいるメンバーがどのような環境を求めていて、どうすれば達成できるのかを考えていくということです。『おお振り』で描かれているように、同じ「叱責」「怒り」「鼓舞」「指導」でも、個人や関係性によって受け止め方は違ってくるのです。

【まとめ】

試合の行方や派手なストーリー展開に目が行きがちなスポーツマンガですが、最近は練習や人間関係、メンタル面の成長などを丁寧に描く作品が増えています。『おお振り』もその一つと言えるでしょう。企業におけるチームづくりを考えたい人に、必読の作品です。

(文/bookish、企画・監修/山内康裕)