水と油を融和する人材配置で、まだ世にないものをつくり出す『映像研には手を出すな!』(3)

マンガナイト
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『映像研には手を出すな』(以下、映像研)で組織に必要な考え方を学ぶ連載。第1回第2回では、マネジメントや新しい技術の導入に必要なポイントをご紹介しました。最後の第3回では、異質な人間が手を組むことによってできる「チームづくり」についてまとめます。

『映像研には手を出すな!』(大童澄瞳/小学館)

「アニメは設定が命」の浅草みどり。アニメーター志望で読モの水崎ツバメ。浅草の旧友でお金の話が大好きな金森さやか。3人は芝浜高校に集まり、同好会を立ち上げてアニメーションづくりに乗り出す。制作環境、資金、人手…と数々の制限に悩みながらも、自分たちの思い描く世界を目指して前に進む青春冒険譚。

成功の秘訣は「得意分野」が違う人の組み合わせ

映像研を立ち上げた浅草・金森・水崎の3人。彼女らはそれぞれできることが異なります。浅草氏は設定を考えるのが好き。金森氏の興味は利益が出る活動。そして、水崎氏はアニメーションの動きを描くことにこだわりがあるようです。同じクリエイターと言っても、浅草氏と水崎氏は得意な分野も仕事の進め方も、スイッチの入り方も違います。3人はそれぞれ性格も異なるため、アニメーション制作という共通の目的がなければ、出会わなかった可能性すらあるでしょう。

その3人がかみ合ったのが「映像研」です。浅草氏が考え出した世界観の中で、水崎氏の描くキャラクターが生き生きと動く。一方で金森氏は、第1回でも指摘したように、2人のクリエイターが制作に集中できるように立ち回ります。この3人の力がうまくかみ合うことで、これまで世の中になかったアニメーションが生み出される。チームの目的を達成するにはさまざまな方法がありますが、あえて得意分野が違う人同士でチームを組み、相乗効果を出すというのも一つの方法です。映像研の3人は見事にこれを実践したと言えます。

こうしたチームでは、リーダーシップも変則的です。メンバーそれぞれが得意分野を持っているため、チーム全体のリーダーが1人いるというよりは、その時々の必要性に応じて誰かが「リーダー」になります。『映像研』の場合、作品全体の世界観を決めるときは浅草氏が、アニメーションの動きを考えるときは水崎氏が、そして全体の制作を進めるときは金森氏が、リーダーとして引っ張っていく傾向です。

その中でも、金森氏のリーダーシップは「サーバント・リーダーシップ」と呼ばれるものに類似しています。金森氏はアニメーション制作において、実際に手を動かして絵を描くことができません。できないからこそ、第1回でも指摘したように、それができる2人を尊重し、彼女らが全力で創作できる環境づくりに奉仕します。そして同時に、チームが方向性に迷ったときは、2人に適切な指摘をする役目も担っているようです。

このサーバント・リーダーシップは、小規模な組織の方が取り入れやすいと言われています。大企業に多い、ピラミッド型の上意下達で意思決定が進む組織では、取り入れるのが難しいからです。大企業の場合は、横割りの比較的小規模なプロジェクトチームなどから導入し、そこでの成果を縦割りの意思決定とうまく組み合わせることで、効果が得られるかもしれません。

誰もが同じ欲望を持ち、企業は同じ製品をとにかく早く大量に生産し、供給すればよかった「高度経済成長期の時代」とは異なり、今は「多様化する消費者のニーズ」に対応することが求められています。そのためには、さまざまな個性を持つ人たちが同じ組織内でチームとして機能することが必要です。金森氏が浅草氏や水崎氏のスイッチが入るポイントは異なると見抜いたように、リーダーには「メンバーの個性を見抜くこと」また「その個性を存分に発揮できるような環境づくりに努めること」などが求められます。

チームのメンバーは、必ずしも気が合う仲の良い友達である必要はありません。実際、作中でも3人は自分たちのことを「友達」ではなく「仲間」と呼びます。明確に描かれているわけではありませんが、3人の性格を見ると、必ずしも気が合うわけではなさそうです。ロボット研究部から文化祭でのPRアニメ制作を請け負うときも、感情で相手と和解する浅草・水崎両氏に対し、金森氏は「問題が感情で解決する人間が一番嫌いだ」と言い切ります。3人とも、普段から思考が異なっているのです。考え方が違い、友達ではなくても同じ目的に向かう仲間にはなれるということでしょう(もちろん、仲間が友達になるのはうれしいことですが)。

成功の秘訣は「得意分野」が違う人の組み合わせ

(第2巻 P159)©2016 大童澄瞳/小学館

成功につながる外部を巻き込む力

もちろん、良いメンバーを集めるだけで、目的を達成できるわけではありません。社会や消費者から求められるものが増えているからこそ、より満足度の高い製品やサービスの開発が必要です。チームに足りないものを、外部との連携で手に入れることも選択肢の一つでしょう。『映像研』では音響部との提携がそれに当てはまります。

資金調達のため、生徒会から音響部への立ち退き命令の代行を請け負った映像研。しかし、音響部が集めた音の資産を目にしたことで、一転して音響部と提携することを決断します。

成功につながる外部を巻き込む力

(第3巻 P37)©2016 大童澄瞳/小学館

映像の構成要素は動画と音ですが、部員3人の映像研では音づくりまでカバーできませんでした。ここで音響部の百目鬼(どうめき)氏を引き入れたことで、3人がつくった動画に音が付き、映像のレベルを何段も引き上げることになります。全部を自分たちだけで解決しようとせず、チーム外の専門家とつながることは一段上を目指すために不可欠な要素です。

百目鬼氏という音の専門家との出会いは、浅草氏ら創作陣のクリエイティビティも刺激します。音のストックを増やすため、学校周辺の「音狩り(環境音を収録すること)」に向かう百目鬼氏に「総監督」という立場で同行する浅草氏。1人ではなかなか行かない場所に仲間と向かうことで、浅草氏は新たな作品の設定を思い付きます。現実社会でも、外部の専門家を招いた社内勉強会などを開く企業は少なくありません。逆にチームのメンバーが、社外で異業種の人たちと交流する会合に出向くこともあるでしょう。異なる得意分野を持つ人との出会いは、自身の可能性を広げるきっかけになり得ます。

映像研の3人の視野を広げる外部の力は、音響部だけではありません。顧問の藤本先生もその一人です。映像研の活動に積極的に口を出してくるわけではありませんが、3人からの質問には的確に答え、必要なところでは手助けをしていきます。

映像研の活動は作品を完成させることが目的で、往々にして「仕事」のようになってしまいます。1つつくり終わったら、すぐに次の作品の構想に――徐々に新しい作品のきっかけになる刺激を得る機会が減っていきます。そうした3人に、藤本先生は「必要以上に働かない!隙を見つけては遊ぶ!これが仕事の極意!」「いい仕事は、いい遊びからよ!」と助言。これを受けて浅草氏は学校周りの探検に出掛けます。もちろん制作を管理する金森氏は焦りますが「遊び方をコントロールするのが、良い管理者ってもんよ。」(藤本先生)だそうです。

成功につながる外部を巻き込む力

(第3巻 P6)©2016 大童澄瞳/小学館

現実の企業活動でも同じことが言えるでしょう。高度経済成長時代の大量生産・大量消費時代において「遊び」は無駄なものとして、なるべく削減することが求められました。しかし、今は多様化する消費者の要望をなるべく早く見つけ出し、彼らが求めるもの、もしくはそれ以上の驚きを届けることが必要です。この環境での遊びは浅草氏のように創造性を刺激するもの。金森氏がしぶしぶ認めたように、チームとして後押しすることが大切でしょう。

反対派に立ち向かうには、時には抜け道を利用する

どんなにチームのメンバーが納得するゴールを設定してそれに向かっていても、チームを取り囲む人たち全員が味方というわけにはいきません。『映像研』では予算や学校の秩序を握る生徒会、先生が映像研の活動を阻む存在として登場します。

同好会を立ち上げた3人が最初に臨んだのは、生徒会が主催する予算審議委員会。活動費を手に入れるために参加するわけですが、部室での「破壊行為」や外部の人間を入れたことなどを指摘され、そもそも審議にすら入ってもらえません。生徒会は映像研の活動内容を知らず、かつ、ほかからイメージを悪化させる情報を得ているため、「何か問題を起こしそうな団体」という先入観があったようです。

金森氏の「部室が壊れたのは老朽化のためなんですよ。学校側も責任を認めてますし、外部の人間が立ち入った件にも問題があるとすれば、それは学校側の保安責任が問われる案件ですよね。これ全部学校側の問題、不祥事ですね」という反論で劣勢を覆し、先生たちは口出しできなくなります。さらに金森氏の主張に納得しない生徒会から譲歩を引き出したのは「細工は流々!仕上げを御覧(ごろう)じろ!だろ!」という浅草氏の叫び。生徒会側メンバーが翻訳してくれていますが「やり方に注文をつけるな。完成品を観ろ」というものです。なんとか作品上映にこぎ着けると、生徒会のメンバーはもちろん、委員会に集まっていたほかの人たちにも「ちゃんとやっている」「続きを観たい」と思わせ、「予算渡したらどうなるのか」と予算を出すことに前向きにさせます。

反対派に立ち向かうには、時には抜け道を利用する

(第1巻 P154)©2016 大童澄瞳/小学館

このケースの解決策は正攻法と言えます。予算が活動内容に対して出されるものだとすれば、活動以外の部分で判断しようとする生徒会に対し、活動そのものを突き付けて「予算を出すのにふさわしい」と納得させているからです。文句を言う人を圧倒的な作品の力でねじ伏せるイメージとも言えます。クリエイターであれば理想的な形ではないでしょうか。どんな活動にも注文や文句を言いたくなる人は一定数いるもの。とすると、そうした人たちにも「受け入れざるを得ない」と思わせるほどの、力強い作品を打ち出せばいいのですから。

もちろん、こうした正攻法がいつも通じるわけではありません。学内の活動だけでは十分に利益を出す活動にならないと判断した映像研は、外部イベントである「コメットA」という自主制作物展示即売会に出店することを決めます。パッケージソフトをつくり、有償で販売することが目的です。

これに対し、学校側からストップがかかりました。学校いわく「部活動という教育の一環でお金儲けをしようとするのはだめ」だとのこと。もちろん金森氏中心に反論しますが、顧問の藤本先生を含め反対者は揺るがず、「イベントに参加するにしても部活動としては金銭の授受禁止」が言い渡されます。

もちろん、ここで「コメットA」への参加を諦める映像研ではありません。金森氏の発案で「作品の著作権は個人にあります。参加までは映像研として、販売と金の回収は著作者個人の意思で行います」ということで落ち着きます。

先生の言葉をそのまま受け取れば「参加取りやめ」ということになったでしょう。しかし、金森氏らは「部活動でお金のやりとりさえ発生しなければいい」という学校側が気にする最低条件を抑えた上で、参加を確保しつつ利益が得られる道を考え出します。やや抜け道的な方法ですが、学校の気にするところを避けつつ、自分たちの活動を最大限確保したと言えるでしょう。(もちろん、「コメットA」で作品を販売したことで、映像研に何らかのペナルティーが科された様子は描かれていません)

現実でも、人々の意識や要望が速いスピードで変化し、社会の仕組みの見直しが追い付かず「許されるのかわからない」というグレーゾーンは少なくありません。特に新しいサービスや製品を開発するときは、受け入れられるラインを探ることになります。正攻法で突破できないときには映像研のように抜け道を見つけることになるでしょう。

【まとめ】

高校生が部活動でアニメーション制作に取り組む『映像研』。「クリエイターの創造性を武器に、この世にまだないものをつくり出す」という点では、人材マネジメントにおける新しい人材配置の導入や、企業が製品やサービスを生み出す過程において、ヒントになることがたくさん詰まっているのではないでしょうか。

※第1回「クリエイターを活かすマネジメントとは。」はこちら
※第2回「新しいツール、どうやって「現場」に導入する?」はこちら

文/bookish、企画・監修/山内康裕