人が生きていくために「3密」は必要不可欠。だからこそ求められる、働き方と生き方の「複線思考」

京都大学

総長 山極 寿一(やまぎわ じゅいち)

1952年東京都生まれ。霊長類学者・人類学者。京都大学総長。京都大学大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学、理学博士。ゴリラ研究の世界的権威。ルワンダ・カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授を経て同教授、2014年より第26代京都大学総長。日本学術会議会長(第24期)。主な著書に『家族進化論』『京大式 おもろい勉強法』『「言葉」が暴走する時代の処世術』(太田光氏と共著)『虫とゴリラ』(養老孟司氏と共著)『スマホを捨てたい子どもたち』ほか多数。

体験して実感したテレワークのメリット
オンラインと対面、その決定的な違い
移動と出会いがクリエイティブの源泉
イノベーションを育む複数の拠点
複線思考が、これからの一つの指針になる

テレワークが教えてくれたのは、オフィスレスが秘める限りない可能性です。オフィスや住まいが、どこにあっても仕事はできる。そんな気づきが今、静かに広がりつつあるように思えます。とは言え、全てをテレワークに移行しても問題ないのでしょうか。コミュニケーションを求めるのは、人間の根源的な欲求、だから「3密」を避けることはできません。だからこそこれからの働き方そして生き方は、より柔軟に考えるべきではないでしょうか。

この問いに対して、これからの生き方も踏まえた答えを提示するのが、京都大学の山極寿一総長(以下、山極氏)です。自らもテレワークを体験し、そのメリット・デメリットを実感した山極氏は、より豊かな創造性を育む新たな働き方、さらには人生に対する新たな向き合い方を示します。キーワードとなる「複線思考」についても語っていただきました。

体験して実感したテレワークのメリット

今回の外出自粛期間中はどのように過ごされていたのでしょうか。

山極氏:大学の講義は全てオンラインに移行しました。とは言え、私だけはほぼ毎日、総長室に出てきてテレビ会議などをこなしていましたが。会議の主宰者としては、自宅でやるわけにはいきませんし、執行部の何人かも出てきていましたね。職員はほとんどがリモートでの参加です。一方で、毎週のように東京に出張していた日本学術会議などはオンラインで参加できるようになり、移動時間だけでもずいぶんと楽になりました。

全国各所で行われていた講演などもリアルからオンラインへ移行したわけですね。

山極氏:人が集まるイベントは全て中止となり、オンラインで行われるようになりました。取材も何回か受けましたが、一対一で話す分には対面でなくても話はできますね。一度、スポーツ庁の鈴木長官にオンラインで回答書をお渡ししたこともあります。実際に手渡すのは東京にいる代理の方だけど、私がそこにオンラインで参加するやり方です。この間には講義も2回行いました。もっとも仕事以外では、毎日自宅と大学を往復する暮らしでおとなしくしていました。

体験して実感したテレワークのメリット

オンラインと対面、その決定的な違い

リアルな対面とオンラインでの違いを実感されたと思いますが。

山極氏:もちろんオンラインは、リアルな対面とはまったく異なり、違和感もありました。ただ、大学の講義などではメリットもあったと思います。学生にとって何よりよかったのは、教員が一対一で向き合ってくれることでしょう。大教室で行う講義では、なかなか手を上げにくい質問もチャットなどを使えば尋ねやすくなります。教員の側からすれば、準備なども含めていろいろ大変だと思いますが。しかし、デメリットも明らかで、仲間と一緒に学べないようでは大学本来の学びとは言えません。仲間と一緒に講義を聞いて、そこで考えたり感じたりした内容をみんなで対話して共有する。これができないと講義で聞いた内容が学問として深まっていかない。また新入生たちには、仲間をつくるための場を提供できていないのが申し訳ないですね。

会議などをオンライン化されて支障はなかったのでしょうか。

山極氏:会議に参加するための移動にかかっていた時間や経費を考えると、オンライン化のメリットは確かに大きい。とは言え、一方では重要な問題も明らかになりました。オンラインで複数メンバーが参加した場合、議論が深まらないのです。一対一で話をするときには、それほど問題は感じなかったけれど、複数の人が意見を出し合い、それをまとめるようなプロセスをオンラインで完結させるのは難しいのではないでしょうか。

人が複数参加すると何が変わるのでしょう。

山極氏:複数の人がリアルに集まると、そこには必ず場の雰囲気が生まれるのです。例えば、自分が発した一言について、みんながどのように反応するのか。リアルな場では、各人の表情の変化などを一瞬のうちに見極めている。そうした感触を逐一つかみながら、全体の話をどういう方向性にまとめていくのかを考えます。オンライン会議でも一応みんなの顔は見えてはいるけれど、画面上で相手の腹の中までを探るのは無理ですね。だからどうしても議論が深まらず、話が上っ面で流れていきがちです。創造的な会議というのは、そこに漂う空気に刺激されて、参加者の暗黙知が飛び交い、その中で何かが生み出される特別な場です。このようなやりとりはリアルな場でないと起こり得ないのではないかな。

オンラインと対面、その決定的な違い

移動と出会いがクリエイティブの源泉

とすると、何かを生み出すためには、やはり人同士が直接会う必要があるわけですか。

山極氏:創造性は人が集まる場で生まれます。みんながお互いの頭の中を探り合っている中で、思いもよらないアイデアがひらめいたりする。これは何も仕事に限った話ではありません。人間は移動して集まることによって、常に新しい何かを生み出してきたわけですから。

移動に意味があるのですね。

山極氏:移動とは出会いなんです。毎日いろいろ新しいものや新しい人と出会って刺激を受ける。仮に毎日同じ人と会うとしても、その相手自身も昨日と今日では違っているはずじゃないですか。そうやって毎日新しい出会いがある中で、自分も更新されていく。そもそも人間の体の細胞そのものが一定期間で全部入れ替わっているわけで、時間と共に気持ちや考え方は変わっていくものです。自分の変化を人と話して確かめ、人と会って新しい考え方を自分の中に吹き込む。極端に言えば、人間は自分だけでは自分を定義できない生き物ですからね。

自分を定義できないとは。

山極氏:そもそも自分の顔を自分で直接見ることさえできないじゃないですか。鏡を使えばよいといっても、鏡に映る姿はあくまで鏡像でしかない。人と会っているときも、自分の顔は見ることができない。相手の反応を見て、自分の話から相手がどういう印象を受けているのか知る必要がある。だから自分を知るためには、生身の誰かがそばにいてくれないとだめなんです。ところがテレワークだと、画面に映る相手の顔しか見えない。リアルに対話しているときの相手の反応は表情だけに出るのではなく、手や足をちょっと動かしたりする、そんな些細(ささい)な動きからでも相手の気持ちを見抜いているのですよ。対面時に相手の反応を通じて自分を知るのが、人間の本性といってもよい。

先生は著書の中でもメールやSNSなど、テキストメッセージだけのやりとりの問題点をたびたび指摘されていますね。

山極氏:対面と文字情報の決定的な違いは、対面で話している場合に「相手を深く追求しない」点にあります。文字情報では、対面なら付随しているはずの膨大な曖昧情報が全て削ぎ落とされています。リアルな場で面と向かって「お前なんか嫌いなんだよ」と言われたとしても、相手がどういう意味で言っているのかが、顔の表情や声のトーンなど言葉以外の情報でわかりますよね。ところがテキストで「お前なんか嫌いだ」と書かれていたら、そのものズバリの意味しか伝わらない。

本当に嫌われているのだと思うしかなさそうです。

山極氏:およそあらゆる生物と生物の出会いは、曖昧さを許すのです。なぜなら相手の中を見ることはできないから。相手を100%理解するなどできない、という前提から始めるのがヒューマニズムの根幹です。生き物同士の出会いというのは直観が重要で、意識と同時に身体でも考えているのでしょう。そこで反応し合うなかでいろいろな関係性が生まれ、その関係性の中から生きる活力を得るのです。

移動と出会いがクリエイティブの源泉

イノベーションを育む複数の拠点

創造性は人と人の対面から生まれる。一方ではテレワークに明らかなメリットもある。企業はこれから、どのように組織を変えていけばよいのでしょうか。

山極氏:一つはっきりしたのは、毎日通勤電車に押し込められて、都心のオフィスに通わなくても仕事はできるということでしょう。現状のように多くの企業が本社を東京だけに構える時代は終わりを迎えるのではないでしょうか。子育てのメリットなども考えるなら、生活と仕事の場を地方に分散すべきですね。そうすれば自然に親しみながら子どもを育てられるし、地域にはシニアなど子育てをサポートしてくれる人もいる。子どもの成長にとっても、さまざまな年代の人たちに囲まれて暮らす方がよいわけです。そして必要のあるときだけ都心のオフィスに行けばいい。

生活そのものが大きく変わっていきそうです。

山極氏:僕は以前から複数の拠点を持つよう提案しています。住民票を2つ持てるように制度を変えて、複線型の人生を歩めるようにする。ICTがどんどん進化しているのだから、仕事の多くは自宅でできるでしょう。そしてクリエイティブな打ち合わせなどでは必要に応じて、どこかに集まって議論すればよい。地方に人が分散して暮らすようになれば、地方が活性化し地域経済もうまく回ると思いますね。

生活の環境が変わると発想も変わってくるでしょうね。

山極氏:それこそ毎日、自然のない都会で暮らしていたり、通勤だけで疲れたりしているから発想力も枯渇するのではないでしょうか。同じような環境で同じような人たちと会っている限り、発想は豊かになどなりませんよ。みんなが、てんでんばらばらに好きなところに暮らし、たまに顔を合わせる。そこで新しい考えがどんどん出てくる。企業がイノベーションを求めるのなら、リモートワークとリアルな場でのディスカッションの使い分けを進めるべきだと思いますね。

企業経営にも新たなメリットが生まれそうです。

山極氏:ESG(Environment Social Governance/環境・社会・ガバナンスの頭文字)が企業にとっても重要な指標となっていますね。環境や社会を豊かにする経営とは、どのようにあるべきかが経営者には問われている。その観点から考えても、東京などの都心部だけに本社を構えていてはいけないのではないか。日本全体の活性化を考えるなら、地方に分散すべきでしょう。テレワークが新しい働き方になるのであれば、本拠地も全国各地への移転を視野に入れればよいと思います。そうすればさまざまな事情があって東京には出てこられなかった、地方の最適な人材と出会える可能性だってあるわけですから。

複線思考が、これからの一つの指針になる

今回の新型コロナウイルス感染拡大を契機として、社会のありようも変わっていきそうです。

山極氏:そもそも農耕牧畜が始まる前には、ウイルスや細菌による感染などもほとんどなかったはずです。今地球には人が約77億人いて、家畜は100億ぐらいいるとも言われています。人と家畜が密接に接触する環境にいるわけですから、これからも新型コロナウイルスのような病気が発生する可能性はなくならないでしょう。

一方で人間にとって「3密」は必要なわけですね。

山極氏:おそらくは心と体の活力源の一つなんでしょうね。今回の外出自粛で遊びが生きていく上で必要だと痛感したのではないですか。そして多くの人が、生きていく上で絶対に欠かせないことはなんだろうかとも考え始めたように思いますね。引きこもっている間は、車に乗る必要がなければ、高級レストランにも行かないし、高価な服を持っていても着る機会さえなかったわけです。本当にそういうものが必要でしょうか。これからは所有物で評価される時代から、そうではない時代に変わっていくと思いますね。

価値観が変化するということですか。

山極氏:いろいろなものを所有したい、けれどもすぐには買えない。だから一生懸命に都市部で働いてお金をためて、リタイアしたらゆっくり楽しもうと考える人もいたと思いますが、そんな人生からは転換できるじゃないですか。地方に移住して、自宅で仕事ができるようになれば、すぐにでも時間的に余裕ができるし、生活費だって抑えられますから。

企業が複数拠点制をとるなら、働く人は複線思考で人生を楽しめるということですね。

山極氏:定年になるまで我慢する必要などまったくないわけです。テレワークなら時間にゆとりがあり、生活環境も好きなところで暮らせる。そうやって環境を変えて暮らし、日々刺激を受けていれば発想力も豊かに育まれるはずです。それこそイノベーションが生まれる可能性が高まると思いますね。

複線思考が、これからの一つの指針になる

取材後記

無理矢理にでも始めざるを得なかったテレワークが、企業はもとより働く人にも大きな意識改革をもたらしました。これは明らかな事実だと思います。もちろん、全てをオンラインのやりとりで済ませるのは無理であり、そこにこだわるべきではないでしょう。だからこそ、これからは「複線思考」が求められる。オンラインでできること、対面でなければ難しいことを切り分けて考える。生活のあり様も変えていく。山極氏の提言する「複数拠点・複線思考」を実践していけば、イノベーションが生まれる可能性が高まるとともに、暮らしの豊かさも高まっていく。コロナ騒動は、そんな教えを与えてくれたのだと思いました。

取材・文/竹林 篤実、撮影/大島 拓也、編集/竹林 篤実