年功序列と決別し、ジョブ型雇用を導入した三菱ケミカル。その大改革がもたらした変化とは?
競争の激化とグローバル化に加え、コロナ禍や同一労働同一賃金の義務化を受けて、年功序列の要素が強いメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用へ移行する企業が増加しつつあります。三菱化学、三菱樹脂、三菱レイヨンの合併により、2017年に誕生した国内化学メーカー最大手の三菱ケミカルも、多彩な人材を活かし、主体的に活躍できる環境づくりに向けてジョブ型雇用を導入。さらに、人事異動は社内公募を前提とする新たな制度を採り入れるなど、大胆な改革を実施しました。
このプロジェクトを推進したのは、人事部の若手を中心としたメンバーたち。プロジェクトリーダーを務めた杉浦氏に、人事改革の目的やその成果についてお聞きしました。
ビジョン実現のためにジョブ型雇用を導入。会社と従業員のフェアな関係を再定義
──貴社がジョブ型人事制度を導入された背景をお聞かせください。
杉浦氏:当社は、親会社である三菱ケミカルホールディングスが2050年に目指すべき社会とグループのありたい姿からバックキャストして策定した、2030年に向けての中長期経営基本戦略「KAITEKI Vision 30」の下で事業運営を行っており、その戦略の一つが人事制度改革です。会社が拡大期で拠点もどんどん増えていた時代には、社命による異動に応じ、幅広い職務に対応できるゼネラリストが必要とされ、また、会社がそれらの人材を長期雇用するという雇用形態がマッチしていました。
しかし、マーケットが変化し、規模の拡大より新しいビジネスモデルや社会の仕組みを変えるような視点が求められるようになると、ゼネラリストではなく、多様な個性を持った人材が必要になってきます。
会社として、そのような人材の確保に努めるのはもちろんのことですが、相手からも選んでもらえるような魅力ある人事制度を整備しなければなりません。人材の流動化が進み、働き方も多様化している現在、社命による異動・転勤や、年功序列で定年まで勤め上げるといった雇用形態は、到底魅力的には見えないでしょう。
当社もその点を考慮し、2017年に職務等級制度を導入しましたが、配置や登用において年次年功の考え方が払拭できていない部分もありました。そこで今回、時代のニーズに即した形に制度を改めた結果、ジョブ型雇用の導入に至りました。
──ビジョン実現のためにジョブ型雇用の導入が必要だったと。今回の人事制度改革の骨子を教えていただけますか?
杉浦氏:ありたい姿実現のためには、会社と従業員が互いに選び、活かしあう関係である必要があると考えています。そのために「主体的なキャリア形成」「透明性のある処遇・報酬」「多様性の促進と支援」を人事制度改革の3本柱として掲げました。
主体的なキャリア形成では、社内公募制や、若手社員に希望部署の選考を受ける機会をつくるキャリアチャレンジ制度を設け、上司によるサポート体制も強化しました。透明性のある処遇・報酬では、ジョブ型にシフトし、職務や貢献によるメリハリの付いた処遇・報酬体系に変更しています。多様性の促進と支援では、定年年齢の引き上げや福利厚生のカフェテリアプラン化とともに、育児・介護などとの両立を支援する制度を拡充しました。
この3つの柱は、それぞれ独立したものではなく、相互に連動させながら運用していくことが成果につなげるためのポイントだと考えています。多様な人材がいる中で、誰にとってもフェアな評価の物差しをどうつくるか、そして新しいことにチャレンジしてもらうためのインセンティブをどのような形で提供できるかが、今回の改革の命題でした。
異動は本人の意向を優先。必ず初めに社内公募のプロセスを踏む
──社内公募の制度は、どのような形で運用されるのですか?
杉浦氏:人事異動で人材配置を変更する際には、社内公募のプロセスを入れることをルール化しました。ある職場で欠員が出る、増員したい、人を入れ替えたいといった事情ができたときは、イントラネット上で運用している公募システムに、まず情報を掲載してもらいます。それを見た従業員が、その職務を希望すれば応募し、マッチングすれば異動が成立するという流れです。
もちろんマッチングする人がいない場合や、そもそも応募者が現れない場合もあります。そうなったときに初めて、従来のような会社主導の異動プロセスに移り、戦略的な要員体制を目指した人材配置が行われることになります。
なお、公募のタイミングですが、随時募集をかける形だと、従業員が毎日イントラネットをチェックしなければなりませんし、異動の時期もばらつきが生じてしまいます。そこで、四半期に1度、募集期間を設けて、その期間中にマッチングした者が異動するという形にしています。
──この制度に対して、若手の皆さん、管理職の皆さんの反応はいかがですか?
杉浦氏:やりたい仕事にチャレンジできる可能性が広がったことを歓迎してくれている若手も多いですが、自分でキャリアを考えるのは大変だから会社に考えてもらった方がいい、という声ももちろんありますね。一方、管理職は、今までのような形では部下の人事に関与できなくなったため、いつ部下が異動してしまうかわからないという不安も感じているのではないかと思います。
人事異動で穴が開いてしまうというこの問題にどう対応するのかについては、今も検討を続けていますが、少なくとも公募に合格したら明日からいなくなるということにはなりません。ですので、異動するまでの間、職場で何をどこまでやるのか、上司としっかり話し合ってもらいますし、必要であれば異動先の職場にお願いして、異動の時期を少し先延ばしにしてもらえるようにしています。
また、予想もしていなかったのに、突然「公募に合格しました」と言われて周りが混乱するといった事態を避けるためには、普段からフォローしておくことも重要です。先ほど、上司によるサポート体制の強化と言いましたが、1on1などを通じて事前に部下の希望を把握しておけば、その後押しもできますし、異動した人の手当のめども付けておくことができます。
年5回のMBO面談。1on1の上司と部下のコミュニケーションが活性化
──上司によるサポート強化のために、具体的にはどのような取り組みをされていますか?
杉浦氏:人事制度改革と並行して進めてきたのが、「上司と部下のコミュニケーション改革」です。上司・部下の面談に関しては、従来、目標管理を主眼に期初・中間・期末の年3回のMBO面談を実施していました。それに対して今回は、1回20~30分のMBO面談を年5回ほどの回数にし、上司と部下のタッチポイントを増やしてもらうことにしました。
次に、面談の内容ですが、目標設定をこれまで以上に明確にすることを目指しました。今までは、ジョブディスクリプションもほとんど作られておらず、目標設定があいまいだった部分がありましたが、今回は自分のポジションがそもそも何をすべきポジションなのかを突き詰めて、ジョブディスクリプションで定義づけていく。そして、自分の仕事の目的や、最終的に達成すべきゴールをきちんと認識してもらうとともに、最低限やるべきことは何か、どこからがチャレンジ要素なのかも明確化します。
さらに、上位のミッションを達成すれば、「その貢献がこのように報酬に反映される」ということも伝えていきます。自分の仕事が、会社のビジョン実現のためにどんな役割を果たすのかがわかると同時に、キャリア形成の上で今何をしておくことが重要なのかを理解することで、社員のモチベーションアップにもつながるはずです。
また、MBOやキャリアデザイン面談とは別に、今回から1on1ミーティングを採り入れ、部下が上司に自分の悩みや仕事に関する相談、家族の状況など、何でもフランクに話せる機会を設けました。管理職には、1on1を最低でも四半期に1度、できれば1カ月とか2週間単位で実施してもらうようお願いしています。負担がかかりすぎないかと心配もしましたが、上司側からは「やってみてよかった」という声をたくさんもらっています。
総合職と一般職の区別を廃止。誰もが高度な仕事にチャレンジできる
──等級や評価・報酬制度に関しては、どのように改定されたのでしょうか?
杉浦氏:これまでの等級は、管理職は職務等級のみ、一般社員には職能と職務の両方の等級があり、たとえば職能で10万円、職務で10万円というように給与が決まっていましたが、今回の改定で全社員、職務等級に一本化しました。そして、管理職については、ポジションごとにジョブディスクリプションを整備してグレードを決め、そこでの職務評価によって給与が決まる仕組みにしています。一方、一般社員については、全ポジションにジョブディスクリプションを作ってグレードを決めるというのでは細かくなり過ぎるため、等級定義を用いて職務を広めにくくりながら等級を決めていく形にしています。
また、一般社員は、これまで総合職・一般職の二つの職群で分けられていましたが、この職群も見直し、T職とE職の区分に変えました。T職はプラントオペレーター(※)、E職にはそれ以外の全ての職種で、総合職・一般職の区別もなくしました。これまで「私は一般職なので総合職のような仕事にはチャレンジしません」「総合職と同じぐらい頑張っているのに、一般職の昇進が遅い」といった声もありましたので、そういった不平等感の改善も目的の1つです。
(※)化学製品工場などで製品が安全に生産されるよう工場の設備や機械を運転する職務。
評価に関しては、目標設定の妥当性の検討から始めるようにしました。今までは、上司と部下の間だけで合意した目標に対して評価を行っていたものを、部署全体に目標を開示して、レベル感は正しいか、フォーカスするテーマが合っているかなどを確認し合った上で、その達成度をフェアに評価する仕組みにしています。
──ジョブディスクリプションや職務が明確化され、成果が報酬に反映される形になったのですか?
杉浦氏:各等級にひもづくレンジ給をもともと採用してはいるのですが、今回そのレンジについても見直しました。これまでは、ある等級のレンジが20~50万円で、その上の等級のレンジが25~55万円といったように、オーバーラップしている部分も多かったのですが、それでは昇等級に伴う昇給感が得られません。そこで、レンジ間の差を付け、等級によって給与のメリハリが出るようにしています。
カフェテリアプランで福利厚生の不公平感を払拭
──福利厚生の制度改正についてはいかがですか?
杉浦氏:ある意味、従業員にとってはこれが一番衝撃的だったかもしれません。これまでの福利厚生は、子どもが生まれたときや家を借りたときなど、個人の事情と会社が用意したメニューが合致すれば手当を受けられるという仕組みでしたが、これを一律のカフェテリアプランにして原資を全体で分け合う形に変更しました。
家族手当や家賃補助をなくす代わりに、自分に必要な支援を必要な分だけ使ってもらうという制度です。ですので、子育てをしている人は育児に、体のメンテナンスが必要な人はフィットネスに、勉強に励みたい人は自己啓発にと、会社がいろいろなメニューを用意して、多くの社員が利用できるようにしてあります。
今回の制度改革で支援が減った方もいますし、今まで一切支援されなかったのが自分も支援の対象と知って喜ぶ方もいますが、やはり個人の属性で処遇が変わるのではなく、仕事の成果に応じて処遇されるというのがフェアな制度ではないかと考えています。
ジョブ型雇用の説明会は労使共催。説明動画の再生数は20万回以上
──人事制度の刷新にあたって、従業員の皆さんへの説明など、どのような点に留意されましたか?
杉浦氏:人事としては、まずこの人事制度変更の趣旨をきちんと理解してもらえるように努めました。メッセージの中で、特に強調したのは、上司やマネージャークラスに向けて、ありたい姿の実現や仕事の在り方を変革していくにはマネジメントが大きく変わらなければいけない、という点です。自分たちが若手の時代にやっていたことを、そのまま踏襲していたのでは、この時代では生き残れない。
上司の役割は、部下に寄り添って成長を支援していくことであり、若手の力を最大限引き出すのが最重要課題であることを伝えていきました。また、説明会は、労使共催という形でも実施しましたし、解説動画を作成して配信したり、イントラネットに掲載したりもしました。この動画が20万回以上再生されているのを見ると、社員の関心が非常に高かったのかがわかります。
とにかく説明会は、数えきれないぐらいやりましたね。役員への説明と質疑応答を我々事務局メンバーが直接行いましたし、管理職向けの説明会とディスカッションの場を本社と各事業所に設けましたし、一般社員向けの説明会もできる限り実施するようにしました。
今回は、かなり振り幅の大きい変更になりましたので、社員は今もいろいろな意見を持っていると思いますし、対話を続けていくことがとても重要だと考えています。
採用や社員の成長にも好影響が出始めた
──新たな人事制度を導入したことで、社員の皆さんのモチベーションや採用面で何か変化はありましたか?
杉浦氏:人事制度だけの影響ではないと思いますが、就職人気ランキングはかなり良くなりましたね。社内的には、今までは一般職で決められた仕事をこなしてきた人が、公募の利用も含めて新たな仕事を希望したり、旧総合職の人がより高度な仕事にチャレンジしたりといった動きも出てきていますし、今までになかった飛び級で昇進する層が現れるなど、すでに変化が起き始めているところもあります。
しかし、新制度導入からまだ1年経っていませんので、今後その結果を検証し、問題点があれば修正していかなければなりませんし、65歳までの定年延長と退職金制度の変更はこれからの作業ですので、やるべきことはまだまだ残されています。
資料提供:三菱ケミカル株式会社
取材後記
ジョブ型雇用を導入する企業が増えてきているとは言え、ジョブディスクリプションの整備の大変さや、年功序列の制度下で働いてきたベテラン社員とのバランスのとり方の難しさから、導入をためらう企業も少なくありません。そんな中、伝統的な素材産業の雄、三菱ケミカルが人事制度を大改革し、ジョブ型雇用へと舵を切ったのは、大きな話題となりました。
改革から1年足らずで早くも社員の意識に変化が見え始めているのは、制度設計もさることながら、コミュニケーションの活性化が後押ししているように感じられます。今後、その変化が競争力強化にどのように反映されるのか。同社の出す成果次第で、日本のジョブ型雇用へのシフトがさらに加速されるかもしれません。
企画・編集/白水衛(d’s JOURNAL編集部)、野村英之(プレスラボ)、取材・文/森 英信(アンジー)、撮影/中澤真央