ムダな査定会議や面談はいらない。毎月の給与を自己申告する「雰囲気給与制度」は重要な経営戦略【連載 第4回 隣の気になる人事さん】
先進的な取り組みを進める経営者や人事がバトンをつなぎ、質問をぶつけていく「隣の気になる人事さん」。第3回にご登場いただいたフジテック株式会社の“武闘派CIO” 友岡賢二さんは、情報システムコンサルティング事業で急成長を続ける株式会社クラウドネイティブを気になる企業として挙げます。
友岡さんが登場した第3回の記事はコチラ
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クラウドネイティブが運用する制度に度肝を抜かれる人も少なくないはず。たとえば同社の給与制度「雰囲気給与」では、全従業員が希望する給与額を毎月自己申告します。中には驚異の超高収入を実現している人も——。
他にも“家賃を100万円まで補助“する社宅制度(※)や、“10万円までなら決裁なしで自由に消耗品を購入できるAmazon Businessや全社員に支給される”法人クレジットカードなど、他社では類を見ない制度が並びます。そして興味深いことに、同社代表取締役の齊藤愼仁さんはこうした仕組みについて「従業員のためを思ってやっているわけではない」と話すのです。
(※)自己負担額上限が月額100万円(家賃上限は月額200万円まで)
「給与の4要素」を従業員に委ね、全員が納得できる状態にする
——「雰囲気給与制度」はどのようにして運用しているのでしょうか。
齊藤氏:当社の給与支払いサイクルは月末締めの翌月20日払いです。その締めに合わせ、月末に全従業員にスプレッドシート上で希望する給与額を入力してもらいます。シートは年月とみんなの名前が入っているだけのシンプルな内容で、従業員は基本的に数字を入力するだけ。請求書を送ってもらうようなものですね。
その上で毎月全員参加のミーティングを開き、決裁者である僕が一人一人の金額を見て「OKです」と確認するだけで、「この金額の根拠は?」などと面倒な確認をすることはしません。本人の申告通りか、もしくは「あなたはもっと貢献したよね」ということで申告より上がることがほとんどです。
——本当に自己申告で給与が決まっていくのですね。かつ、全員の給与決定の場にメンバー全員が立ち会っていると。違和感なくこの制度が運用できるのは、メンバー同士がそれぞれの仕事内容や貢献度合いを理解しているからでしょうか?
齊藤氏:メンバー同士が互いをどこまで理解しているかはわかりません。それよりも、自分自身の給与に満足していれば、他人の給与は気にならないのではないでしょうか。
僕は、給与が決まる要素として「権力」「慣性」「模倣」「公平性」があると考えています。
・権力……給与額を決定する人によって給与が決まる
・慣性……入社時の給与額から大きく変動することはない
・模倣……同業他社の給与水準などを調べて模倣する
・公平性……社会的に企業として給与を下げることは難しい
当社の場合、この4つ全てを会社が持つことなく従業員に委ねています。結果だけではなく給与が決まるプロセスも含めて、一人一人が納得できる状態になっているんです。
固定費を極小に、内部留保を残さないことで「驚きの月給」を実現
——ちなみに、直近の雰囲気給与制度における最高額と最低額を教えていただくことは可能ですか?
齊藤氏:最高だと月給550万円ですね。最低は入社直後のメンバーで月給30万円です。
——月給で550万円!?
齊藤氏:普通に考えたらあり得ない金額ですよね。下手をすると会社が潰れるかもしれない。でもクラウドネイティブでは実際にこの金額を支給できています。
世の中の多くの会社はオフィスなどの経費にお金を使いすぎだし、従業員に回さず投資もせずに貯め込んでいる額も大きすぎるのではないでしょうか。当社はリモートワーク体制なので経費は極小です。内部留保も残しません。みんなには普段から会社のキャッシュを共有していて、持っているお金の中で給与として払えるものはみんなの希望通り払っておきたいと考えています。
——なぜここまで従業員に還元するのでしょう?
齊藤氏:実際のところ、「従業員に還元したい」とか「従業員のためを思って」という考えで制度を運用しているわけではないんですよね。会社というものは所詮道具でしかなく、組織の礎にあるのは一人一人の個人の生活だと考えています。
一人一人がほしい給与額ってバラバラのはずですよね。それぞれの生活があって必要な額が決まってくるわけですから。会社が権力を持って一律の基準で給与額を決めること自体に無理があるのではないでしょうか。
——全員の希望を聞いて実現する仕組みは、組織拡大によって人員が増えても維持できるのでしょうか。
齊藤氏:できると思っています。現状は40人規模の組織で雰囲気給与制度を運用し、僕が最終確認と決裁をしていますが、「僕だから」この決裁ができるわけではありません。なぜなら、給与を決める4つの要素は従業員に委ねられているから。今後、組織の階層がより複雑になれば、僕と同じように決裁する役割の人を増やしていくだけです。
「査定がなくなる」だけで、みんなハッピーになれる
——雰囲気給与制度は、従業員にとってどのようなメリットがあると感じていますか。
齊藤氏:従業員としてはまず、希望する給与額を実現できることが大きなメリットです。加えて「査定がなくなる」というだけでも、みんなハッピーになれるのではないでしょうか。
僕も会社員を経験しているのでよくわかるのですが、多くの会社では年や半期に一度の査定会議のために書類を細かく書かされ、本心かどうかにかかわらず目標設定を半ば強制的にしなければなりません。査定のための長たらしい会議もあって、管理職にとっては苦痛でしかないかもしれない。そうしたプロセスを経て決まる給与額は、想定していた範囲のものでしかないことがほとんどです。
——雰囲気給与制度があれば、給与を決めるための人事考課が必要なくなるわけですね。会社側としてはどんなメリットがあるのでしょうか。
齊藤氏:会社としては、雰囲気給与制度によって従業員の多様性が増すことがメリットだと感じています。たとえば当社には、エンジニアとして非常に優秀でありながらも「普段はVRゲームに没頭していたいからあまり仕事はしない」という考え方の人も働いています。一般的な企業ではこうした人を正社員として雇えないかもしれませんが、雰囲気給与制度のクラウドネイティブでは雇えます。ものすごく仕事ができる人なので、たまに働いてくれるだけでも、現場が大いに助かるんですよ。
——貴社では雰囲気給与制度の他にも、「家賃を半額負担する社宅制度」(※1)や「法人クレジットカード支給」(※2)など、一般的に見ればかなり大胆に思える制度を設けています。こうした制度の狙いとは。
(※1)従業員が居住する賃貸物件賃料の半額を会社が負担。賃料の上限は200万円(自己負担上限100万円)で、事実上ほとんどの物件が対象となる。
(※2)必要な消耗品などの購入について、一度の購入金額が10万円未満の場合は申請・決裁不要で使用できる。
齊藤氏:クラウドネイティブのビジネスモデルはほとんど経費がかかりません。そのため、従業員の家賃負担や法人クレジットカード支給といった形で経費を割くことができます。
そうした意味では特に明確な狙いがあるわけではなく、僕としては従業員のためを思ってやっているつもりはないんです。結果的には、従業員の住環境を整えることで業務環境が良くなったり、面倒な申請をなくすことで業務スピードの向上につながったりといった良い効果をもたらしていますね。
「人それぞれ」の判断によって、自律的に働く人の集団へ
——ここまでお聞きしてきた諸制度は、従業員のみなさんへの信頼があってこそ、性善説の立場で運用できるものではないかと感じました。
齊藤氏:もちろん僕は同じ会社で働くメンバーを信頼しています。でも、性善説といった観点は特に持っていないんですよね。そもそも、信頼できない人を雇用している会社なんてあるんでしょうか?雇用する・しないには、0か100かの違いがあります。入社してもらった以上、経営者は従業員を100パーセント信頼するしかないと考えています。
その上で、従業員一人一人の生活を土台として組織が成り立っていることを考えれば、生活を支えるための給与はそれぞれの希望通りにするのが自然ではないでしょうか。
給与を自分で決めることには、大きな責任とプレッシャーも伴います。「これまでの倍の給与をください」と申請するなら、それに見合った貢献をしなければならないと考えるのが普通ですから。反対に、「今月は会社にフルコミットしたけど来月は長期休暇を取りたい」という理由からピンポイントで給与を下げて申請する人もいます。そこはもう、人それぞれ。結果としてクラウドネイティブは自律的に働く人の集団になっていると思います。
こうしたやり方を僕たちは「雰囲気給与」と名付けているわけですが、むしろ世の中にある多くの企業のほうが、なんとなくの雰囲気で給与を決めてしまっているのかもしれませんね。従業員の給与を決定する従来の権力構成があって、他社の水準を模倣する習慣がある。運用される給与制度や給与額には慣性が働いてなかなか変わらず、公平性の担保にも苦心する…。
そうしたプロセスを維持するためには面倒な査定プロセスが必要だし、個人間で詮索が始まれば「あいつはこんなにもらっているのに、俺の給料はこんなに安い」といった飲み会での愚痴トークにもつながりがち。
僕たちはただ、そうしたムダを省きたい一心でやっているんですよね。
取材後記
昨今の人事領域では従業員の自律・自立が重要なキーワードとして挙げられます。一方、働く人の根本を支える給与についてはマネジメント層や人事が主導して決める企業がほとんど。齊藤さんの話を聞けば聞くほど、当たり前に捉えていたこの状態に違和感を覚えるようになっていきました。
齊藤さんからは「その人の価値がいくらかなんて、本当は社長にも人事にも分からないのでは?」という言葉も。自分の給与を自分で決める——仕事の本質を考えることにつながる権限を渡すことで、企業はまだ見ぬ従業員の可能性を知ることができるのかもしれません。
企画・編集/海野奈央(d’s JOURNAL編集部)、野村英之(プレスラボ)、取材・文/多田慎介、撮影/中澤真央