オンボーディングの成功の秘訣は、「情報の定量化」と「現場への深い理解」にある
サービス企画開発本部 サービス企画統括部 ゼネラルマネジャー
大澤 侑子【聞き手】
少子高齢化にますます拍車が掛かる日本では、あらゆる業界で慢性的な人手不足が深刻化し、あらゆる業界で採用難に苦しむ企業が増えています。そんな中、近年注目を集めているのが「オンボーディング」です。オンボーディングとは、企業が新たに採用した人材を職場に配置し、組織の一員として定着させ、戦力化させるまでの一連の受け入れプロセスのこと。採用難の今、「社員を定着させること」「今いる社員を活躍人材にすること」にシフトする企業が増えており、オンボーディングに関心が集まっています。
(参照:『オンボーディングとは?離職防止や新入社員の活躍に効果のある実践方法と取り組み事例』)
「新入社員は3年で3割辞める」と言われて久しいですが、どのような企業においても採用した新入社員・中途社員をいかに定着させ、早期に戦力化するということは、どんな企業においても組織運営を大きく左右する永遠の課題だと言えるかもしれません。
そこで今回は、パーソルキャリアが今年9月から運営開始した「HR Spanner」のゼネラルマネジャー・大澤侑子が聞き手となり、新人育成における斬新な取り組みで確かな実績を上げている株式会社アドヴィックスの人事部・森亮介氏に、オンボーディングを成功に導く秘訣について詳しくお聞きしました。
将来を見据えた「人材育成」が不十分という課題に直面
森氏:私たち株式会社アドヴィックスは、愛知県刈谷市に本社を持つ自動車部品サプライヤーです。アイシン精機、デンソー、住友電工3社のブレーキ事業の開発・営業部門を統合し、2001年に設立されました。私は人材業界からプロパー中途社員一期生として2005年に入社しましたが、プロパー社員は私たち数人を除いて役員のみという状況であり、アドヴィックスのプロパー社員として新卒社員が入社してきたのは2008年のことです。
森氏:ええ。そこから2010年に国内生産事業を統合するため、アイシン精機の工場を取得します。そして、出向社員を転籍させ、プロパー社員を増やす方向へと舵が切られることになりました。これにより、人事育成権を自社で持てるようになったわけですが、設立当初は3社の出向社員が集まった組織ということもあり、社員の育成権限は元会社にありました。そのため、人材育成がうまくいかないケースが徐々に顕在化するようになったのです。
森氏:それまでは元会社で育成された社員が集まって事業を執行しており、問われる成果はあくまで業績。将来を見据えた人材育成が行われてこなかったという問題が根底に横たわっていたのです。そんな中、私は2010年に営業から人事に異動し、採用担当を任されるようになります。採用担当となり、各部署に配属される新入社員のその後を見ていると、明らかに育成にばらつきがあり、そこに大きな問題があると痛感するようになりました。そこで2015年秋ごろから本格的に定着・活躍のための対策…、今で言う「オンボーディング」を本格的に始めることにしたのです。
森氏:そうです。採用担当として新卒社員の受け入れ部署を見ていると、とにかく皆忙しい。新入社員を親身になって教育する時間がなかなか取れないのです。また、前述した会社の設立背景から「プロジェクト執行を中心とした育成スタイル」という状況が長く続いていました。そこでまずは教える側にフォーカスし、将来を見据えた育成の取り組みからスタートしたのです。
上司の意識改革を促した上で、孤独を感じるトレーナーをメルマガなどでフォロー
森氏:おっしゃる通り、もちろん現場からの反発はありました。「いきなり教えるのは無理」「忙しいから難しい」といった声が上がったのです。私も現場にいましたから、その気持ちは痛いほどわかる。でも、このままではいけないことも痛感していました。そこで、経営層を巻き込むことを考えました。
森氏:はい。役員会で「次世代のマネージャー候補を育てるために育成経験を積ませたい」と働き掛けたのです。また役員だけでなく、部長や室長などを集めた説明会を開催したほか、泥臭くひたすら各部署を回り、状況を把握することにも努めました。
森氏:新入社員には入社後3~4年で訪れる昇格というファーストステップに向け、どのような能力が求められるのかを確認。その能力取得のために「新人研修でここまでいこう」と明確な目標を設定しました。具体的には1年間で「自ら周囲に働きかける力」を身に付けてもらうように伝えました。指示を待つのではなく、新入社員からトレーナーや上司に多く働きかければ、その分だけ知見を得る機会・指導される機会を、より得られるようになります。
森氏:ほかにも課題だったのが、新入社員を教育するトレーナーによって、育成に対する認識に大きな違いがあることでした。単にメンターを務めるだけの人や、「困った時には聞きに来るように」と言うのみの人もいたのです。そこで登場人物をきちんと定義し、「新入社員OJT」の上司、トレーナー、トレーニーそれぞれの役割を明確化したうえで、どんな行動を期待するのかをハンドブック化することを決めました。研修はまず上司に向けて始めました。研修の内容は「トレーナー選任の基準」で、トレーナーになる人は「将来のマネジメント候補を選ぶように」と伝えました。トレーナーは、将来の管理職候補を養成する場なのだと。
森氏:トレーナーにも研修を行いましたが、徐々に分かってきたのはトレーナーが孤独を感じ、新人の教育に困っているということでした。話を聞きに行くと「どうやって教えればいいのか…」「上司が忙しくてなかなか関与してくれない…」といった悩みを訴える人が多かったのです。そこで、好事例などを共有するトレーナー向けの座談会を開催したり、トレーナー向けの情報をメルマガで定期的に配信したりして、積極的にフォローするようにしました。特に、メルマガの配信には「とても役立っています」と大きな反響がありました。そして、このメルマガはあえてトレーナーを選んだ上司にも配信することにしています。今ではこのメルマガを読むことで「新人の心境が良くわかった」と言っていただくことも多いですね。
新人育成の期待到達度は63%から90%へ。「まずはやってみよう!」の精神が大事
森氏:年間計画に基づいて年3回の定点アンケートを実施し、オンボーディングの効果測定を行っています。上司に対するアンケートでは、新人育成の期待到達度は1年目が63%。満足のいくレベルまであと37%到達していないことが分かりました。一方、新人側へのアンケートでは、先輩社員がOJTでずっと関与し続けられるわけではないため、月ごとに関与の度合いに波があるなど、こちらも改善点が多いことが浮き彫りとなりました。そこで2年目以降は、前述した上司への研修やトレーナー向けのメルマガ配信などに取り組みました。アンケート結果も、年を追うごとに良くなっています。
森氏:確かに大変でした。エンジニアが多い組織ですから、何よりデータがものを言う世界です。事実としてどうなのかを示すために、人の機微という定性的なものを定量化することが重要だと考えたのです。そのために行っているのが定点アンケートですね。また、初年度に上司やトレーナー、新人それぞれの役割を明文化したことも大きなターニングポイントでした。さまざまな取り組みが奏功し、最近では、技術部の皆さんが教育にこだわりを持ってくれるほど、育成に対する意識にも変化が表れています。
森氏:ええ。5年目の現在は、期待達成度が90%ぐらいまで顕著に上昇しています。上司やトレーナーがきちんと育成できていると実感でき、それが成功体験として積み重なることで、次のアイデアが出てきたり、人事へのうれしいアドバイスをもらったりするなどの良い循環も生まれていきます。最近では「うちの部署ではこうしたいんだけど、動いていい?」と自ら行動してくれる方も多くなり、非常に良い循環が生まれていると実感します。対する新入社員も、1年後に取るアンケートで、上司やトレーナーからの指導に対しての満足度は年々上がり、今や97%が良い関係で満足していると回答しています。人事冥利に尽きますね。
森氏:これらの取り組みがうまくいった要因は、やはり役員の理解を得て一体となった活動であること、マネジメントの体制がうまく機能できたことが大きかったと思います。そして、それを支える人事制度・階層別教育を含めたさまざまなプログラムを設計してきた結果だと思います。ただ、何より重要なのはまず始めてみること。「とりあえずやってみよう!」の精神が大事だと感じますね。
森氏:そもそも育成に関する問題が人事に届いている時点で遅いと思います。すでに傷が深くなった状態で「困っています」と情報が伝わってくるのではなく、育成の原点である現場にいかに根付かせるかが重要です。また、最近強く感じるのは、あくまで育成を担うのは上司やトレーナーではなく、「組織」だということ。「○○さんが教えなきゃ…」という状態は健全ではありません。そのため、職場内にいる専門家がそれぞれの役割を果たし、カリキュラムに基づいて職場全体で育てていけるような体制づくりをしていきたいと思います。
【まとめ】
アドヴィックスの森氏がオンボーディングを成功に導いた秘訣は、感性になりがちな人材育成をアンケート調査など活用することで定性的な事象を定量化し、現場への深い理解を促していった点にあると感じます。また、現場上司やトレーナーの意識改革を促したこと、さらには泥臭く各部署を回りながら、新入社員だけでなくトレーナーの悩みを吸い上げ、積極的なフォローを実施した点も成功の大きな要因だったと言えるでしょう。また、今回の森氏へのインタビューを通じ、人材育成の担当者が本腰を入れてオンボーディングに取り組むことで、組織の風土が変わり、活性化する大きな可能性を秘めていることを改めて実感しました。
(文/平井 基一、撮影/安井 利恵、編集/齋藤 裕美子)