『おお振り』に学ぶ、ビジョンを達成するために個人のやる気を引き出す方法
ひぐちアサ先生の『おおきく振りかぶって』(講談社)から組織づくりに必要なことを学ぶ同連載。第1回では、チームのメンバーが成功体験を積み重ねられる環境づくりのヒントをまとめました。第2回では、チーム内の目標を統一することの大切さや、個人のやる気の引き出し方を作中から学んでいきましょう。
【作品紹介】『おおきく振りかぶって』(ひぐちアサ/講談社)
女性監督、選手は全員1年生――埼玉県立西浦高校の新設野球部に集まった10人の選手が、甲子園優勝を目指す野球漫画。体づくりから野球技術にメンタルトレーニングまで、取材や参考資料に基づく話をベースに、試合ごとの戦略や心理戦を綿密に描くのが特徴。
ビジョンは大きく、全員で統一する
私たちがチームや組織をつくるのは、何かやり遂げたいことがあるから。メンバーが集まった後、チームをチームとして機能させるには、共通の「ビジョン」が必要になります。このビジョンはチーム内の全員で統一し、より大きいものであることが重要です。
『おおきく振りかぶって』(以下『おお振り』)では主人公、三橋廉(みはし・れん)の所属する西浦高校が、埼玉大会で美丞大狭山(びじょうだいさやま)高校に敗北したことにより、目標を設定することになりました。キャプテンの花井梓(はない・あずさ)らの提案によって、目の前の試合にがむしゃらに向かっていた部員全員で「チームの目標をどこに置くか」を考え始めます。
まずはお互いに相談せず、一人一人が紙に目標を書き出して共有してみると、甲子園出場から県大会優勝、全国制覇までバラバラに。監督は、「全部勝ちたい」という思いがあるものの「野球をするのはあなたたちだから」と、目標の最終決定を選手に任せます。
そもそも「目標」とは何か。デジタル大辞泉によると「そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの」「行動を進めるにあたって、実現・達成を目指す水準」とあります。企業を含む組織で使用する「目標」という言葉は、「数値目標など現実的に達成可能なもの」や「夢に近いスローガンのようなもの」「共通の目指す方向を示すもの」と、さまざまです。
ここで西浦高校の部員が掲げる目標は、キャプテンの花井が意識するように、設定したからといって、必ずしも実現できるかどうかわかりません。しかし、目標とは「そこに向かっていく約束」だと仮定すれば、自分の可能性を最大限引き出すために、現実的でないほど「大き過ぎる目印や水準」を掲げることができます。企業や組織でいえば、ビジョンという言葉に近いものです。
そしてこの目標=ビジョンは、チームのメンバー全員、同じものを共有することが求められます。作中の西浦高校野球部では、部員の目指すところは当初バラバラです。ほぼ初心者に近い選手から、中学時代にシニアの強豪チームで活躍した選手と、野球の技術もやる気も多種多様。その結果、前述のように、当初みんなが出した「目標設定」も統一感を欠くことになります。チームワークを重要視する野球において、この状態では全力を出すことができません。チームで何かをやり遂げたいときには、最終的に全員が同じ方向を向く必要があるでしょう。
もちろん、この大き過ぎるビジョンを掲げ、共有した後は、それに向かって回り道をせず、自分を成長させる方法をよく考える必要があります。野球部の練習で言えば、むやみに努力を繰り返したり、練習量だけ増やしたりするのでは不十分です。
作中では、監督が覚悟を決めた部員に対して「甲子園で優勝するにはもう1分だってムダにできない」「今から優勝まで全部の時間を野球のために使う!」と宣言し、ビジョンを達成するために必要なトレーニングをイメージさせます。事業の立ち上げ、大きなプロジェクトの達成…ビジネスの成功を目指す人なら誰もが「大き過ぎる目標=ビジョン」を掲げていることでしょう。しかし、掲げているだけでは不十分。そのために何が必要かを考え抜き、ビジョンに向けて自分の時間をムダにせず、使い切ることが求められます。
チームのビジョンを達成するために個人の目標を立て、やる気を引き出すきっかけに
チームのビジョンを実現させるためには「ビジョンの具体化に必要なこと」を、メンバーそれぞれの個人目標として設定しなければいけません。
ここで西浦高校の監督が提案したのは、部員それぞれがスポーツと人生の「目標」を書き出すこと。すらすらと書ける選手もいれば、まったく思いつかないという選手も。時間制限内に書き終わらず、「もっと時間が欲しい」と言う選手まで出てきます。作中で明確になっているわけではないですが、描写を見ると「人生」と「スポーツ」の目標を両方書き出せた選手は、一定程度自分に自信があり、判断が早く、先を見据えているタイプ。逆に三橋のように自分に自信がないと、「人生」の目標をまったく書くことができません。
この目標設定方法は元ネタがあります。主にスポーツ選手向けにメンタルトレーニングを手掛ける高妻容一先生の『基礎から学ぶ!メンタルトレーニング』(ベースボール・マガジン社)です。「人生の目標」を上から順番に書き出し、次に「スポーツの目標」を同じように、合計10分で記入するものです。「人生の目標」から書き出すことで、スポーツが人生の中でどのような位置付けなのかが見えてきます。
目標を書き出すことで、自分が今できていないことを認識し、自分が進む方向を見据えて自身の内部からモチベーションを引き出せます。このモチベーションは、監督など外部から「やる気を出せ」と圧力をかけるより強力でしょう。実際に作中でシートを書き終えた部員らは「なんでもやったるって気持ちです!」(花井)という状態に。文字にして書き出すことで「今、そしてこの先何をすべきか」が明確に見えたのだと考えられます。大きな目標に到達するための設定は、究極のイメージトレーニングになるのでしょう。
なお、ひぐち先生も単行本の巻末で指摘されているように、この目標設定シートは野球以外のスポーツでも、スポーツ以外の自分が熱中していることでも利用できます。
監督がこのシートを書くように促したのは、高校生である彼らに部活後も人生が続くことを意識させるため。これは彼らだけでなく私たちも同様で、どんなに大きな目標や今熱中しているものがあったとしても、「人生という大きな枠の中に存在する一つの目印」なのだということを、常に忘れずにいたいものです。
チーム全体で「ネガティブ禁止」の雰囲気をつくる
ビジョンを達成するには、チームのメンバーが全員前を向いている必要があります。とは言え、いくらやる気にあふれていても、試合に負けたり失敗したりすれば、落ち込んだり自分の力を疑ったりすることもあるでしょう。この落ち込み具合はそれぞれ人によって程度が違いますが、いずれにせよ再び前に進む気力を取り戻すことが求められます。
個人が前に進むのを後押しする、外部からの力の一つが応援です。『おお振り』の中でも多くの部員の親が彼らの活動を応援し、食事の準備などでサポートをしています。しかし、外部からの応援はもろ刃の剣(つるぎ)となることもあるでしょう。
『おお振り』では西浦高校野球部が発足した後、三橋らのクラスメートが応援団を立ち上げることを提案します。このとき、監督が応援団長になる浜田良郎(はまだ・よしろう)に強調したのは「観客のいるスタンドを常に前向きにする」ということ。監督は「親を含む応援団が、選手のやる気を奪う」と言います。
部員たちの親は子どもの活躍を期待し、一番熱心な応援団でもあります。しかし監督が指摘するように、期待している分、活躍できないことがわかると、ため息をついたりがっかりしたりするのです。その雰囲気は、確実に応援している相手に伝わります。
これは、会社などの組織でも起こり得ることです。期待が大きければ大きいほど、その期待が満たされなかったときにあたかも裏切られたように感じ、反感にすらつながることもあるでしょう。期待して何かを任せたり、全力で応援したりしていた人ほど、相手がその期待を達成できなかったときに、勝手に怒り、批判側に回りやすいと言えます。けれども、そうした怒りや批判はかえって相手を追い詰め、失敗などを振り返り、前を向く力を奪うことになりかねません。
どんなに準備してやる気にあふれていても、失敗をゼロにできるわけではありません。しかし、その失敗や落ち込みを追い詰めないよう、「ネガティブ禁止」の雰囲気をつくることはできます。応援団長の浜田が部員ら以上にポジティブシンキングを身に付けるよう要請されたのは、応援する側こそ、応援される側以上に前向きな態度を維持することが必要だからでしょう。
【まとめ】
大きな目標を立て、チームのメンバー全員がそれに向かって進む雰囲気をつくる。これは、チームで何かを成し遂げるために、または何かに取り組む際に重要なプロセスです。野球などのチームスポーツは「さまざまな背景の人が集まり、勝利を目指す」ことにおいて一日の長があります。メンタルトレーニングややる気を起こさせる仕組み、そしてそれを維持する方法は、大いに参考になるのではないでしょうか。
※第1回「『おおきく振りかぶって』で学ぶ、挑戦できる環境づくり(1)」はこちら
文/bookish、企画・監修/山内康裕