『阿・吽』が描く空海・最澄の生き様から、起業家が学ぶべき3つの視点

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平安時代の日本に新たな宗教をもたらした二人の天才・最澄と空海を描く、おかざき真里先生の漫画『阿・吽』(小学館、 監修・協力/阿吽社)。エリートコースを歩みながら権威と戦い、人を救うために教義を追い求める最澄と、己を満たすために教義を追究する姿が自然と人をひきつけ協力者を増やしていく空海という対照的な二人の人柄と生き様は、起業家や経営者が歩む道と重なります。

【作品紹介】『阿・吽』(おかざき真里/小学館)

比叡山延暦寺の開祖である最澄と高野山を築いた空海。日本に密教をもたらした平安時代に生きた二人の「天才」の執念と生き様を描く。

まわりを責めても解決しない。自分の修行にまい進するのみ

最澄と空海が生きた平安時代の仏教は、単なる宗教のひとつではなく、国の権力と結びついたもの。それらを学ぶ僧は、最高の知識層として外国の知識に触れられることから、先端の医療や文化などを国内に伝える役割も持っていました。従来の考えや組織の腐敗に異議を唱えた最澄は、桓武帝の庇護(ひご)のもと、天台法華宗を比叡山に立ち上げました。

従来の考え方との対立により、最澄は自分の志を継ぐ弟子を育てるのに悪戦苦闘します。さらに敵対勢力だけではなく、最澄の庇護者であったはずの桓武帝も、最澄の教義を追究する思いを阻む存在に。桓武帝は、最澄には日本で国のために働いてもらうことを望むため、遣唐使の候補から危うく外れそうになってしまうのです。

自分の進みたい道を妨げようとする動きは決して過去のものだけではなく、今の社会でも十分起こることです。ライバルの反対だけでなく、すでにある仕組みの成功体験から抜けられず、新しい動きを取り入れることを拒絶する既存組織など、新しい製品やサービスを導入しようとした人なら一度は直面したことがあるでしょう。現代であれば法的規制や、一度手に入れたものや慣れたものを手放したくないという心理的障壁もあります。

こうした壁に対して、残念ながら今のところ明確な対策はありません。作中でも最澄は、悔しい思いをしながらも、自分のもとを去る弟子らを責めたり桓武帝を心の中でも責めたりすることはなく、ただひたすらに自分の修行にまい進します。最澄のように、ひたすらに自分の信じたモノと道を信じて進み続けるしかないのです。

まわりを責めても解決しない。自分の修行にまい進するのみ

©おかざき真里/小学館(『阿・吽』3巻P217)

空海の戦略に倣う、未知のモノの学び方

今いるところから新しい世界に飛び込み、これまでなかったサービスや技術を学んで導入する――最澄や空海が生きた平安時代だけでなく、現代でも広く行われています。しかし、サービスや技術、考え方を学ぶためにどれだけの期間滞在し、飛び込んだ世界に深く入り込むことができるかは必ずしも誰にとっても平等ではありません。

『阿・吽』の最澄と空海も同様です。子どものころから優れた人物と認められ、国分寺で学んだ最澄は、紆余曲折がありながらも国によって正式な遣唐使のメンバーとして選ばれ、桓武帝らから資金援助を得て唐に向かいます。

一方で空海は導く大人に恵まれつつも国分寺で仏教を学んだわけではありません。一度は遣唐使の選考から外れてしまいます。最終的に船に乗ることができた時も、国から財政面を支援する支度金は出ない「留学僧」として渡りました。留学僧は唐には20年滞在することが求められ、20年後に遣唐使船があればそれに乗って戻ってこられるというもので、当時の寿命や遣唐使の行き来自体が減らされていたことを考えると、生きて日本に戻れる保証はないことになります。

この渡航の際の立場の違いが、二人の唐の長安での学びの期間や深さの差につながります。国の支援で渡った最澄は、滞在期間が限られているうえ、「さらに密教を深く学びたい」と思った時も送り出した天皇が病にたおれたことで帰国を余儀なくされます。長安で通じる言葉が流暢(りゅうちょう)ではなく通訳頼みであったため、現地の僧らと問答はできず、もっぱら学びは経典中心となります。

一方の空海は、国からの資金面の支援はないものの、学ぶための時間だけは十分。当初の予定になかった密教に出会い、学びを深めていきます。言葉も使いこなせるため、作中では、長安の街中で、ゾロアスター教の関係者など含め当時長安に集まっていた最先端の宗教や文化に触れることになります。物語の中では事件を通じて白居易と知り合い、のちに密教を継ぐときの資金調達で助けを得ます。空海は最終的に留学期間を切り上げて帰国しますが、この資金のおかげで密教の経典を書き写し、仏具を複製して日本に持ち帰ることができたのです。時間と言葉を駆使したコミュニケーションとネットワークが、最終的に日本に密教を伝えるという成果につながったといえます

空海の戦略に倣う、未知のモノの学び方

©おかざき真里/小学館(『阿・吽』7巻P179)

最澄と空海の経験は、今の時代に外の世界に出て未知の製品やサービスを学ぼうとするときのヒントにもなるでしょう。最澄が日本にもたらしたもの、確立したものが大きいことに異論はありませんが、知らない技術やサービスを深く理解して取り入れるという点では、自分で滞在期間を選び、より深く仏教や現地の文化に入り込んだ空海のやり方――学びの時間は十分に取り、かつ深い理解のために周りとコミュニケーションをとれる方法を確立する――が参考になりそうです。

「他人のため」「自分のため」に意味はあるのか

当時日本になかった新しい考え方=密教を求めた最澄と空海。長安を目指すところも共通していますが、実はその目的は違います。世の中の生を「苦」と捉え、他人を全員救うために新しい宗教を求める最澄(桓武帝の病気を理由に唐からの帰国を決めた理由もここにあります)に対し、世界を理解し自分を満たすために唐に渡ることを決めた空海。最澄が他人のためならば、空海は自分のために海を渡ったともいえます。こうした動機の違いが、前述のような滞在期間の違いにもつながります。

「他人のため」「自分のため」に意味はあるのか

©おかざき真里/小学館(『阿・吽』6巻P219)

これまでなかった技術やサービスを根付かせるためにはどちらがいいのか。これは当時の最澄や空海も意識はしなかったでしょうし、現代でも正解が出るものではありません。

ただ、結果的に最澄と空海が唐から持ち込んだ密教が日本に根付いたことを考えると、取り入れるための動機は他人でも自分でもどちらでもいいといえます。最初の動機が何であれ、両者は新たな考えを学び、それを広げるための場所と組織を作り上げ、周りの人を巻き込みながら普及させていったからです

現代での新しい製品やサービスの立ち上げでもその動機は「自分がほしいから」であったり「社会が必要としているから」であったりとさまざまです。製品やサービスの生き残りには、どちらの動機を裏付けとしているかは左右するものではないのです。

【まとめ】

学びに貪欲であり、うまくいかなくても決して周りを責めない。どちらもシンプルなことですが、常に意識するのは難しいものです。そして起業家がついこだわってしまう「起業の理由」も、受け取る側にとっては、必ずしも重要ではないということも、押さえておくべきことでしょう。

当時の誰も知らなかった密教という最先端の考え方を日本に持ち込み根付かせようと奮闘する最澄・空海の姿は、まさに現代の起業家や事業家の理想。彼らの人を魅了する熱意と執念は、起業家を後押しするものです。

【連載一覧】
第2回「なぜ『阿・吽』は起業家の支えになるのか。孤独に耐える力と演出力を学ぶ」はこちら

文/bookish、企画・監修/山内康裕