人的資本経営とは|メリットや実践するためのポイントをくわしく解説

d’s JOURNAL編集部

企業経営における資本とは、一般的には事業活動を行うために必要な資金のことを指します。しかし、現代では企業を取り巻く環境の変化やビジネスのグローバル化などにともない、「人材」を資本として捉える「人的資本経営」の考え方が重要視されるようになっています。

一方で、人的資本の捉え方は取り扱う企業や組織によっても異なるため、「概要をつかみきれていない」という方も少なくないのではないでしょうか。この記事では、人的資本経営の基本的な意味や重要性、企業における実践の方法について解説します。

人的資本経営とは

「人的資本経営」とは、人材を資本として捉えて経営を考える手法のことです。人的資本経営という言葉が注目を集めたのは、2020年に経済産業省が発表した「人材版伊藤レポート」がきっかけとされています。

ここでは、人材版伊藤レポートの内容にも触れながら、人的資本経営の基本的な概要を確認しておきましょう。

人的資本経営の概要

人的資本経営とは人材を企業の“資本”と捉えて、その価値を最大限に広げることに重きを置いた経営手法のことです。具体的な意味合いは、取り扱う主体によって異なる部分もありますが、内閣官房では次のように定義されています。

「人的資本」とは、人材が、教育や研修、日々の業務等を通じて自己の能力や経験、意欲を向上・蓄積することで付加価値創造に資する存在であり、事業環境の変化、経営戦略の転換にともない内外から登用・確保するものであることなど、価値を創造する源泉である「資本」としての性質を有することに着目した表現である。

(参考:『内閣官房(『人的資本可視化指針』

従来の経営における考え方では、人材は「ヒト・モノ・カネ」という経営資源の一つとされてきました。資源とは、企業活動においてコストとして消費されていくものであるため、基本的な考え方としては「可能な限り削減しながら効率的に回す」ことが前提となっています。

一方、人的資本経営では人材を資源ではなく、資本として捉えることに大きな特徴があります。つまり、人材は「付加価値を生み出す」「代替不可能な側面が強い」といった性質を持っており、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につながるという考え方です。

この点について、人材版伊藤レポートの内容から、さらにくわしく掘り下げて見てみましょう。

人材版伊藤レポートにおける位置づけ

人材版伊藤レポートとは、経済産業省が2020年に開催した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」をもとに発表された報告書の通称です。レポートでは、かつて国際的にイノベーティブな成果をあげていた日本企業が、グローバル競争で低収益を続けている状況に対し、「過去の成功体験と決別しなければならない」との警鐘を鳴らしています。

そのなかで、人材の捉え方について、多くの日本企業が陥ってしまう問題点を次のようにまとめました。

・人材育成・管理についてオペレーション志向から脱却できない
・経営戦略と人事が連動していない
・囲い込み型の内向きな人事
・硬直的な企業文化

こうした前提にあっては、企業は急速な環境の変化に見舞われた途端に推進力を失い、国際競争から淘汰されてしまう危険性があると訴えられています。変化が激しい現代では、想定外のショックにも柔軟かつ強靭に向き合える「レジリエンス」を高める必要があるとされているのです。

そこで、強靭な組織づくりのために必要とされたのが、人的資本経営の考え方です。人的資本経営では、人材は「利益や価値を生む存在」として、“資源”(Human Resource)ではなく“資本” (Human Capital)に位置づけています。

そして、理想的な変革の方向性を次のように示しています。

・クリエーション志向による人的資本の活用
・経営戦略から落とし込まれた人材戦略
・積極的な発信・対話
・個の自律・活性化

上記の内容からも読み取れるように、人的資本経営は人材一人ひとりの価値を引き出すという点で、従来の経営手法よりも従業員の個性にフォーカスした概念であるといえるでしょう。

人的資本経営が注目される背景

人的資本経営が注目を集める背景には、ビジネスを取り巻く環境の変化が関係しています。ここでは、代表的な4つの要因について見ていきましょう。

働き方の多様化

1つめの要因は、人材や働き方の多様化です。日本では少子高齢化によって労働人口減少が続くなかで、外国人労働者やシニア世代などの多様な人材の登用が重視されています。

また、育児や介護との両立を求める社会的な要請もあり、時短勤務やリモートワークといった働き方そのものの多様化も進んでいます。働き方のバリエーションが増えたことで、従来の画一的な人材管理では通用しない場面も増えており、企業には人事領域での進化も強く求められているのです。

個別の事情や価値観に合わせた勤務形態を実現しつつ、「個」の力をスムーズに引き出せるような環境を整えるという点で、人的資本経営の考え方が重要となっています。

無形資産に対する注目

投資における考え方の変化も、人的資本経営の重要性を高める要因となっています。従来と比べて、投資の世界では「無形資産」を投資判断に用いる傾向が高まっています。

こうした動きのなかで、投資家をはじめとするステークホルダーは、企業の将来性を見極めるうえで人的資本経営に関する情報の開示を求めるケースが増えているのです。その結果、企業にとっては、人的資本の指標が企業価値を左右する重要なポイントになっているといえます。

世界的な動向

2015年に「SDGs」が国連で採択されたことにより、持続可能な社会を目指した取り組みは国際的に注目されるようになりました。それにともない、「多様性の尊重」や「従業員エンゲージメント」といった人材管理における指標は、企業の信頼性やイメージを決定する要素の一つとなってきています。

人に関する指標を重視する経営が行われているかどうかで、競合との優位性や顧客からの選ばれやすさなどが左右されるケースもあり、こうした動きも人的資本経営の重要性を高める要因となっています。

デジタル時代における経営戦略

デジタル技術の進歩により、さまざまな定型業務の自動化が進んでいるなかで、現代のビジネスシーンは人材の価値を見直す段階に入っているといえます。DX推進によって産業構造が変化するなかでは、従来のように単に頭数を投下するのではなく、「さらなるイノベーションを生み出す」という「人」の付加価値に目を向ける必要があるのです。

機械やAI技術を用いて新たなビジネスモデルを構築したり、サービスの品質を向上させたりするのは、あくまでも「人」の役割です。そのため、一人ひとりの個性や能力を最大限に活かすという人的資本経営の考え方は、企業の成長に欠かせない要素と捉えられています。

人的資本経営で企業が開示すべき情報


人的資本経営の推進は国レベルでの取り組みとなっており、経済産業省を中心にさまざまな施策が打ち出されています。なかでも大きな出来事としては、2022年11月に金融庁が発表した「『企業内容等の開示に関する内閣府令』等の改正案の公表について」があげられます。

この改正案に基づき、2023年3月期の有価証券報告書から、上場企業約4,000社に対して人的資本投資に関する戦略と指標及び目標の開示が求められるようになりました。具体的には、「人材育成方針」「社内環境整備方針」の現在の記載事項(従業員数・平均年齢・平均勤続年数・平均年間給与)に、「女性管理職比率」「男性育児休業取得率」「男女間賃金格差」の項目が追加されています。

公表を求められているのは一部の上場企業のみですが、これらの指標はいずれも企業の評価につながっていくと考えるのが自然です。そのため、中小企業においても情報の開示を前提に、数値の改善を目指していくことが大切となります。

人的資本経営に取り組むメリット

国の施策や情報開示などの必要性を踏まえると、人的資本経営の実現は社会的な要請という側面もあります。しかし、実践することで、個々の企業に大きなメリットをもたらすのも確かです。

ここでは、人的資本経営の具体的なメリットを5つに分けてご紹介します。

従業員の能力を見える化できる

人的資本経営では、一人ひとりの人材にしっかりと焦点を当て、最適なキャリア形成や能力開発を行うこととなります。そのため、人材育成を通して、従業員がどのような能力を持っているのかを可視化できるのが大きな効果といえます。

その結果、最大限のパフォーマンスを引き出す人員配置が可能になったり、不足している人材を的確に見極めた人材採用が行えたりするようになるのがメリットです。

従業員エンゲージメントを高められる

人的資本経営の姿勢は、自社の従業員にもハッキリと伝わっていくため、エンゲージメントの向上にもつながるのがメリットです。人材育成に力を入れれば「従業員の成長に投資を惜しまない企業」と認識してもらえるようになるため、モチベーションの維持・向上や、自社での長期的なキャリア形成が期待できるのです。

生産性の向上につなげられる

人的資本経営の基本的な考え方は、人材への投資にあります。従業員のスキルアップや成長を重視するため、長い目で見れば業務の生産性が高まるうえ、組織全体のパフォーマンスも向上していきます。

また、前述のように従業員個人のモチベーションも向上するため、企業と従業員がともに成長できる好循環が生まれていくのがメリットです。

企業価値を高められる

人的資本経営を実現することで、社会的信頼が得られやすくなり、企業イメージが向上していくのもメリットです。また、人材育成に力を入れることで、求職者によいイメージを与えられるため、優秀な人材が集まりやすくなるのも大きな利点です。

投資家から注目される

現代の投資環境において、人的資本経営に積極的な企業は、企業価値が高いと判断されやすい側面があります。長期的な利益を期待しやすいとともに、社会的価値も高いと評価されるため、投資対象として認識してもらいやすくなるのです。

人的資本経営のフレームワーク

人的資本経営は幅広い概念であるため、具体的な実践方法は企業の規模や置かれている環境、目指すべき経営目的によっても異なります。しかし、適切に実践するためにも、おおまかな方向性を理解しておくことは重要です。

人材版伊藤レポートでは、人的資本経営を実現するためのフレームワークとして、「3P・5Fモデル」という理論モデルが紹介されています。ここでは、それぞれの内容について見ていきましょう。

3Pモデル

3PのPとは、「Perspectives」(視点)のことであり、人材戦略を立てるうえでどのようなポイントを踏まえるべきかという意味を表しています。具体的には、次の3つの視点があげられています。

1.経営戦略と人材戦略の連動
2.As is-To beギャップの定量把握
3.企業文化への定着

1つめの視点は、人材戦略が経営戦略と表裏一体でなければならないことを示しています。経営戦略の立場から人事の施策を検討し、具体的なアクションやKPIを設定していくことが必要です。

2つめの視点は、理想(As is)と現実(To be)のギャップを客観的に捉えることの重要性を示しています。理想と現実の乖離を定量化することで、問題点や課題が明らかになり、経営戦略の実現につながるとされています。

そして、3つめは人事戦略が企業文化として定着するかどうかという視点です。企業理念や行動指針として、人材戦略のあり方が浸透していくかどうかを意識することの重要性を示しています。

5Fモデル

5FモデルのFとは、いかなる業種の企業でも共通して取り組むべきとされている人材戦略の要素(Factor)を示しています。具体的には、次の5つの項目があげられています。

1.動的な人材ポートフォリオ
2.知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
3.リスキル・学び直し
4.従業員エンゲージメント
5.時間や場所にとらわれない働き方

1つめの「動的な人材ポートフォリオ」とは、リアルタイムで人材情報を活用できるように整え、経営課題に必要な人材配置を速やかに実現できる状態を指しています。2つめの要素は、多様な個性や経験を持った従業員の特性を活かし、多様化する顧客ニーズに対応するという視点のことです。

3つめは従業員それぞれのリスキル・学び直しの支援、4つめは従業員エンゲージメントの達成を示しています。また、5つめは多様な働き方の実現のことであり、具体的には在宅勤務やリモートワーク、フレックスタイム制の導入などです。

人材版伊藤レポートでは、上記の3つの視点と5つの要素を通して、個人・組織の活性化を図ることが重要であると示しています。

人的資本経営を実現するためのステップ

それでは、人的資本経営を実現するためには、具体的にどのような方法で進めていくべきなのでしょうか。ここでは、基本的なステップを3つに分けて見ていきましょう。

自社が目指すべき姿を設定する

まずは、人的資本経営の内容や目的を踏まえて、自社の戦略を固めていく必要があります。このときに重要となるのが、人材版伊藤レポートでも示されていたように、「経営戦略と人材戦略の紐づけ」を行うことです。

両者の間にギャップが生じてしまう原因にはさまざまなものが考えられますが、基本的には経営層と人事部門のすり合わせ不足が問題となっている場合が多いです。そのため、「人事部門のメンバーをボードメンバーに加える」「経営層の意図を人事部門の責任者と丁寧にすり合わせる」といった点を意識して、連携を強化しておきましょう。

そのうえで、自社の状況を「今までの取り組みや現在の姿」と「目指すべき未来の姿」の2つの観点で整理し、両者のギャップを把握することが大切です。

KPIの設定と施策の考案

未来の目標を設定できたら、次はKPIの設定を行い、そのための具体的な施策を探っていきます。KPI設定では、次の3つの視点でアプローチすることが大切です。

1 未来志向:過去を振り返りながら現状を把握したうえで未来を見つめる
2 経営戦略との整合性:経営戦略との連動を見失わないよう意識する
3 自社らしさ:戦略には自社らしさを表現する独自性を盛り込む

人的資本経営の目標設定では、自社の将来や従業員の育成といった内部を意識するのはもちろん、投資家やステークホルダーの目という外部の視点を考慮することも大切となります。投資先としての信頼性を高めるためにも、「現実に即した未来志向」や「他社との明確な差別化」を意識して、魅力的な企業の姿を伝えることが重要です。

取り組みを分析し、改善につなげる

人的資本経営は長期的な取り組みであるため、一度の戦略策定で狙った通りの効果が得られることは稀です。そのため、PDCAサイクルを効率的に回して、施策のクオリティを高めながら実現へ近づけていくことが大切です。

効果検証の方法としては、次のようなアプローチがあげられます。

・人事データの整理
・エンゲージメントサーベイ
・KPIを参考にした議論

まずは、人事データの整理を行い、有給休暇取得率や研修受講率といった定量的な指標をチェックします。続いて、エンゲージメントサーベイを用いて、待遇や福利厚生に対する従業員の満足度を測りましょう。

エンゲージメントサーベイとは、企業と従業員のつながりを数値化して把握するための調査ツールです。サーベイの結果をもとに従業員の満足度をチェックするとともに、課題を発見して速やかに解消の手を打っていくことが大切です。

ただし、人的資本は無形資本であるため、指標を数値化・定量化しにくい側面もあります。定量化が難しいポイントについては、丁寧に議論を重ねてプロセスの妥当性やクオリティを精査していくとよいでしょう。

人的資本経営を実現するためのポイント

人的資本経営を実現するためには、基本のプロセスを意識するとともに、見落としがちなポイントを踏まえて失敗を避けることも大切です。ここでは、人的資本経営で目的を達成するためにおさえておくべきポイントを見ていきましょう。

人的資本開示を目的化しない

人的資本経営の取り組みでは、国際的な情報開示の動きや投資家からの要請といった外的要因により、人材に関する情報を開示することそのものが目的になってしまう可能性もあります。しかし、人的資本経営の本来の目的は、あくまでも「持続可能な企業の成長」を実現することにあります。

そのため、単に数値の公表に追われてしまうのではなく、データの計測や集計にどのような意味があるのかを理解したうえで取り組むことが大切です。すべての施策が企業価値を高め、持続可能な成長を遂げるための取り組みであると関係者が認識できていれば、方向性のブレが生じるのを防ぐことができます。

経営戦略と人材戦略の結びつきを重視する

繰り返しになりますが、人的資本経営においては、人材戦略が経営戦略と綿密に紐づけられていなければなりません。自社を取り巻く経営環境が変化しているにもかかわらず、人材戦略がアップデートされていかなければ、人材の価値を損なってしまうことにもつながります。

たとえば、自社にとって必要性の低いスキルを持った人材を採用してしまったり、長期的には利用価値のなくなっていく資格やスキルを従業員に取得させたりといった不具合が生じてしまうのです。こうした失敗を避けるために、人事部門は目先の課題に対応するだけでなく、経営戦略に立脚した判断を行う必要があります。

自社が求めるゴールを大切にする

人的資本経営の具体的な取り組み方や目標は、企業によって大きく異なります。それだけに、経営層は人的資本経営の意味やあり方を深く探求したうえで、自社ならではの独自性を持ったゴールを設定することが大切です。

人的資本経営に対する理解があいまいなまま、無理に施策として落とし込もうとすると、「他社の取り組みを表面だけなぞってしまう」「ガイドラインや指針に準拠するあまり、経営的に重要性の低いKPIを設定する」といった失敗をしてしまうリスクがあります。その結果、コストをかけて施策を実行しても、思ったような成果が得られないという可能性は十分に考えられるでしょう。

確かな成果をあげるためには、自社としてなぜ人的資本経営に取り組むのか、何を重視するのかなどを明確にして、全社的に同じ方向を向いて進めていくことが重要です。

まとめ

2020年に経済産業省から人材版伊藤レポートが公表されて以来、人的資本経営という言葉は日本国内でも大きく注目されるようになりました。一方、重要性を感じながらも、具体的な内容を把握できておらず、言葉のみが一人歩きしてしまうというケースも少なくありません。

まずは、人的資本経営がなぜ重要なのか、今後の企業の発展にとってどのような価値を持つのかを丁寧に理解していくことが大切です。そして、人材版伊藤レポートの内容から、企業が共通して取り組むべき課題やフレームワークを確認しておきましょう。

そのうえで、自社が抱えている現状や目指すべき未来の姿と照らし合わせて、独自性を持った取り組みを続けていくことが大切です。

(制作協力/株式会社アクロスソリューションズ、編集/d’s JOURNAL編集部)

【日本語訳】ISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)の管理項目

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