合わない上司と働かなくてイイ!「上司選択制度」を導入したさくら構造のリテンション策
コロナ禍による打撃から立ち直りつつある企業が見られる一方、人材不足も再び顕在化。各企業は、採用に一層力を入れると同時に、離職を防ぎ、人材の定着を図ろうと知恵を絞っています。
そんな中、建築業界初の「上司選択制度」を導入したのが、札幌に本社を置いて年間800棟もの構造設計を手掛けるさくら構造株式会社です。人材不足や離職問題に悩む建築業界ですが、dodaの「仕事満足度ランキング2021」で1位に輝いた構造設計ビジネスも例外ではありません。
そのため、同社は離職の一因ともなる「上司と部下のミスマッチ」の解消に向け、新たな一手を打ったのです。同社代表取締役の田中真一氏に、上司選択制度のメリットや導入の際のポイントなどを伺いました。
エンジニアの離職を減らすべく、上司選択制度を導入
──採用難や離職に関して、業界や貴社ではどのような課題があると感じていましたか?
田中氏:建築業界の人材不足は深刻で、有効求人倍率は7倍にも達しますが、中でも構造設計に関わる会社は大変です。一級建築士には、建築科出身で建物のプランニングやデザインを手掛ける人が多いのに対し、構造設計を志す人は一握りしかいないので、慢性的な人手不足に悩まされてきました。
人材の絶対数が少ないため、会社を辞めるエンジニアが出てくると、代わりの人を探すのも簡単ではありません。そこで、社員の離職を防ぐとともに、就職・転職の際に当社を選んでもらえるような職場の環境づくりができないかと考え、一つの手段として設計部に対して上司選択制度を導入しました。
会社生活の場合、ウマの合わない上司の下に付いたことがストレスになって離職するケースは少なくありません。実際、当社でも部下が上司の指導方針などに不満を抱いていて、周りがそれを知ったときにはすでに手遅れだったということもありました。
当社では、毎月1on1を行っていますが、その場で「あなたとは価値観が合わない」「他の上司の下で働きたい」と、上司に面と向かって言える人は少ないでしょう。そこで、上司選択制度を導入し、自分に適した上司を選べることで人間関係のストレスを減らせると同時に、人材育成をより円滑に進めることを可能にしました。
──貴社の上司選択制度の概要と運用方法について教えてください。
田中氏:年に1回社員アンケートを行い、どの班で働きたいかを「〇〇班長の〇〇な姿勢に付いていけない」「新しい技術を身に付けたい 」などの理由も添えて書いてもらいます。そのアンケートを基に、班の人数のバランスなども考慮しながら、人事異動を行います。
アンケートには、所属したい班について第2希望まで書くことになっていますが、これまでにこの制度を利用した社員は、全員第1希望の班に異動することができました。
激震!上司選択で班が一つ消滅した
──制度の導入に当たっては、どのようなプロセスを踏まれたのでしょう?
田中氏:事前に社員にヒアリングして感触を確かめた上で、トップダウンで導入を進めました。ヒアリングでは、班長は微妙な顔をしていましたが(笑)、一般社員の感触が良かったので、当社が年1回開いている社員総会で上司選択制度の導入を発表した後、すぐにアンケートを実施しました。
ただし、実施に当たって留意すべき点もいくつかありました。まず、希望する班を選べと言っても、各班の班長がどんな人なのかわからないまま、誤ったイメージを基に班を選んで異動すると再びミスマッチが起きてしまいます。そこで、社員総会での発表の際に、私が作った各班長の「特徴まとめ」と「班長活用マニュアル」を公開しました。
特徴まとめは、売上の確保や部下への指導、部下のケアなど14個の項目を設定して、各班長の特徴が一目で比較できるようにしています。
一方、班長活用マニュアルでは、技術指導力、仕事の姿勢、工程管理、現場対応力、特殊能力など、各班長の能力や性格について、「ここがすごい」「ここがイマイチ」というように詳しく書き記しました。さらに、班長と付き合い方についてのアドバイスも載せましたので、班長1人当たり5~6ページの大作になっています。
また、これらの資料の公開と同時に、それぞれ得手不得手はあっても、班長は高い技術力を持ち、会社に収益をもたらしてくれる重要な存在であること、厳しく指導する班長がいても、その指導が部下の成長につながることなどをきちんと説明し、単なる好き嫌いで班長を選ばないよう、社員に理解を求めました。
──導入の結果はいかがでしたか?
田中氏:1年目は、制度を利用して5人が異動しました。異動の結果、設計部に7つあった班のうち1班が消滅し、6班になったんです。もちろん、異動希望の多い班・少ない班の偏りは出るだろうとは想定していましたが、実際に異動でメンバーが極端に減って、班が存続できなくなるという事態に直面したとき、その班長のフォローをどうすればいいのか悩みましたね。
この班長は、非常に技術力の高い人材でしたので、私の直属の部下として、技術開発に当たってもらうことになり、結果的に会社にとって大きなプラスになっています。しかし、この一件によって、組織の在り方や管理職のポジション・処遇について、改めて考えさせられることになりました。
特技が異なる上司たちから新たなスキルを学び続けられる
──上司選択制度を運用してみて、社員の皆さんからはどんな声が上がっていますか?
田中氏:1回目の異動から1年ほどしか経っていませんが、制度によって自分のスキルを高める上で良い環境になったという社員が多くいます。
上司選択制度には、上司と部下のミスマッチ解消だけでなく、社員の成長を促進するという大きなメリットがあります。たとえば、建築にはさまざまな工法があり、それに合わせた構造設計をしなければなりません。一方、構造設計のエンジニアにも、それぞれ得意分野があり、「こういう建物に関して特に高いスキルと経験値を持っている」という人がいます。
当社においても、班長それぞれに得意分野・技術があるので、自分が学びたい分野・技術に長けた班長の下で働けば、スキルアップを図ることができます。当社には、向上意欲の高い社員も多く、上司選択制度によってスキルアップのチャンスが広がったと感じているのでしょう。
逆に、向上心のある人が、そういうチャンスを与えられないと離職してしまう危険性があります。実際、若いころの私がそうでした。会社の仕事や上司から学ぶことがなくなると、自分で勉強するしかなくなり、専門書を買って読んでみたりする。そのうちに、「この会社にいる必要はないじゃないか」と考え始め、退職するということになってしまいます。
しかし、会社にさまざまな能力を持つ上司がいて、自分のキャリア志向に合わせて上司を選ぶことができれば、別の会社に入って学び直さなくても、社内で必要なスキルを学び続けることができます。会社にとっては、社員の離職を防ぐ手立てになりますよね。
また、同じ班で同じ仲間とずっと仕事をしていると、学びや気付きが減り、現状維持志向になって向上心が失われていくというリスクもあります。そのとき、上司選択という機会が与えられれば、自分の仕事やキャリアを見つめ直し、ステップアップしたいという意欲を目覚めさせるきっかけにもなるはずです。社員の成長を促すためには、新たな出会いを生む環境づくりが必要ではないでしょうか。
──職場や社員の意識には、どのような変化が見られますか?
田中氏:今年、2回目の上司選択を行いましたが、異動を希望したのは2人で、前回より減りました。今の職場に満足している社員が増えたということでしょう。上司選択制度だけが理由ではありませんが、現時点では離職に関しても以前のペースより減っています。
一方、社員の意識の変化について感じるのは、以前にも増して責任感が出てきたことですね。自分で上司を選んだのだから、頑張って働かなければという気持ちになってくるのでしょうし、自分が選んだ上司の愚痴を言って回るようだと、周りの人からの信頼も失いかねません。今の職場で粘り強く働こうという意識が、芽生えてきているのだと考えています。
人気投票にならないように、目的意識を明確化する
──新制度の運用開始後、上司の方々のケアはされていますか?
田中氏:エンジニアの世界は「俺の背中を見て仕事を覚えろ」という職人かたぎの世界だったので、部下に優しく接するようになったのなら、それはむしろ良い変化で、全然問題ありません。しかし、優しくすることと甘やかすことは違いますから、班長には常々「締めるべきところは締めてください」と発信しています。
構造設計の仕事には、ミスが許されません。1度建物の骨組みができてしまったらやり直しが利かず、一つ間違えば人の命にも関わるため、設計ミスをすれば何千万円もの賠償金を請求されることもあります。当然、品質管理に関しては、部下に対しても厳しく指導しなければなりませんし、そうしないと本人のためにもならないでしょう。
──選択結果は、上司の評価に反映されるのですか?
田中氏:班長の評価は私が行っていますが、班の売上や営業実績、部下の育成などを勘案し、総合的に評価しています。上司選択の結果も、もちろん一つの物差しにはなりますが、人気があるから高評価、人気がないから低評価という話ではなく、上司選択で人が増えた班は、班長がより多くの部下の面倒を見なければならないので、そこは考慮するということですね。
──上司選択制度を導入する際のアドバイスをお聞かせください。
田中氏:導入に当たってまず考慮しなければならないのは、この制度に適した組織とあまり適さない組織があるということです。一番のポイントは組織の規模で、上司の数が少なすぎると、部下の選択肢が限られてしまいます。
当社の場合は、設計部に7つの班がありましたので、自分に合いそうな班長を探すことができましたが、リーダーが1~2人しかいないとしたら選びようがありません。少なくとも50人以上の規模で、4~5人程度の管理職がいる組織でないと、導入は難しいかと思います。
もう一つの注意点は、上司の選択は同じ部門内に限った方がいいということです。部門をまたいだ異動までOKにしてしまうと、専門的なスキルがまったくない人がエンジニア職を希望するという可能性も出てきます。当然のことながら、異動しても役には立たないので、会社にも本人にもデメリットになるばかりです。
当社においても、設計部にしか制度を適用しておらず、どの班も同じような業務体制ですので、班を異動しても特に支障はありません。最初に上司選択制度を導入するのなら、複数の営業グループがフラットに並んだ営業部門などがいいのではないでしょうか。
また、制度運用に当たっては、上司の人気投票になってしまわないように方向付けすることが大事ですね。上司選択制度は、社員のパフォーマンスやスキルを高めて、それを仕事に反映させていくためのものですから、人材育成・スキルアップにつながるように制度を活用することを、上司にも部下にもしっかりと認識してもらわなければなりません。
──今後、人材育成や人材活用に関して、どのような取り組みをお考えですか?
田中氏:上司選択制度をスタートしてまだ2年目ですので、成果や問題点をきちんと検証して、改善すべき点は改善していかなければなりません。さらに、全社的な観点で考えた場合の人材の最適配置と上司選択制度との兼ね合いをどうするかという問題もあります。
今後、班長の誰かを抜てきして特命の仕事を任せたいとなったらどうするか。そのために班を解散させるのは不合理ですので、別の人に班長を継いでもらわなければなりません。部下から支持されるような次の班長候補をどのように育てていくのかということも、今後の課題になってくるでしょう。
写真提供:株式会社さくら構造
取材後記
「親ガチャ」「子どもは親を選べない」という言葉は、会社の上下関係にも当てはまり、「自分で上司を選べたらいいのに」と嘆く声もよく聞かれます。この長年の課題に真正面から挑んだのが、さくら構造です。同社が上司選択制度を導入したのは、上司と部下のミスマッチを解消して離職を防ぐためだけにとどまらず、社員のスキルアップにもつながるとの判断からでした。
しかし、上司選択を単なる人気投票にしないためには、上司の能力や個性の詳細を開示するとともに、どのような選択が社員と会社のプラスになるのか、しっかりと意識付けしなければなりません。そのハードルを乗り越えた同社では、社員のモチベーションやパフォーマンスの向上など、さまざまな効果が表れつつあります。今後も同社のようなチャレンジャーが、不合理な日本の常識を一つ一つ塗り替えていくのでしょう。
企画・編集/海野奈央(d’s JOURNAL編集部)、野村英之(プレスラボ)、取材・文/森 英信(アンジー)