【アカデミア×豊田通商】グローバル実現、ミドル層強化のための人的資本経営。今取り組むべき5つの背景と3つのポイント
2020年9月に経産省から発表された人材版伊藤レポートで取り上げられて以降、以前にも増して注目が集まるようになった人事キーワードがあります。「人的資本経営」です。改めて注目されるようになった背景ならびに、人事担当者はどのようなことに注意すべきなのか。また、実際にどんな施策をどのように進めればよいのか。人材マネジメント・人事・組織論研究の第一人者である守島基博教授ならびに、豊田通商でCHROを務める濱瀬牧子氏。両氏の講演とディスカッションから学びます。
「人的資本経営」時代に向けて人事がすべきこと/学習院大学教授・一橋大学名誉教授 守島基博氏
● 「人的資本経営」が注目されるようになった5つの背景と3つのポイント
「人的資本経営」とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営の在り方であり、経営戦略とも言えます。人を大切にした経営ではありますが、単に甘やかすことではありません。
2020年9月に発表された人材版伊藤レポート以降、活発に議論されるようになりましたが、その背景(要因)は大きく5つあると私は考えています。
1つ目は「企業変革」です。最新のテクノロジーを使い、新たなビジネスモデルを構築していく。いわゆるDX(デジタルトランスフォーメーション)が広まったこと。当然、新たな人材が必要になるという変化も起きます。
2つ目は「働く人の変化」です。以前であれば長期雇用ならびに段階的な給与アップで満足してくれました。しかし現在は自分のキャリアやワークライフバランスに重きを置くなど、以前とは異なる価値観を持つ人が増えてきています。背景には、労働人口の減少との理由もあるでしょう。
3つ目は「投資家の動き」です。株主や投資家が人的資本経営に取り組んでいる企業に対し、投資をする動きが増えてきています。
4つ目は「日本的雇用モデルの行き詰まり」です。先ほども触れた長期雇用はもちろん、新卒採用や配置転換の在り方などが、現在の働く人の変化に対応できていない状況になってきました。るジョブ型モデルへのシフトはその一例です。
5つ目は「新型コロナウイルスによる影響」であり、組織、働く人両方に該当します。組織は、自律・分散・協働型になり、働く人は、これまでは組織に対してエンゲージメントを持っていましたが、最近は目に前のある仕事、職務エンゲージメントに関心が移行している傾向にあります。
このような背景を踏まえ、私は人的資本経営にはいくつかある側面のうち、次の3つがポイントだと考えています。
① 変化の時代、企業価値を創造し、向上させる
② 経営戦略と人事戦略・人材マネジメントを連動し、戦略目標を実現するための人事を行う
③ 人的資本と人的資本投資に関する情報の公開
いうなれば、一昔前とは異なり、人材がなければたとえ資金が豊富にあっても、経営ができない時代になったのです。そしてこのような理解、「戦略人事」というキーワードを、経営者が本気になって捉えるようになったと見ています。
● 人事施策だけでなく組織改革も含め、総合的に改革を進めることが重要
このような背景とポイントを踏まえ、人事はどのような取り組みを行えばよいのか。人的資本経営の本質を理解した上で、総合的な人事改革を行う必要があります。まずは、具体的な人事施策について説明します。
これまでのように適材適所(人に仕事を就ける)で何となく業務を行っていた体制から、ミッション・役割の明確化ならびに、適所適材(仕事に人を就ける)に変革します。ジョブ型制度の導入も当然関連します。人材育成などへの投資も積極的に行います。
しばしば、「人材育成や社員教育はすでに行っている」との声をよく聞きますが、データを見ると海外と比べ人材育成への投資は劣っています。
さらに、積極的な「従業員経験」向上への投資も必要です。従業員経験とは、従業員が組織で働くことで得るあらゆる経験であり、従業員と企業の接点全てにおいて発生します。組織エンゲージメントの源泉です。具体的には、意義を感じられる仕事、公平で納得できる評価・処遇、働きやすい仲間、仕事とキャリアの進展が期待できる職場環境、家族との充実した時間などです。これらに積極的に投資することで、結果として従業員のエンゲージメントは高まっていきます。
組織改革も併せて行います。次の4つがポイントになります。
1つ目は、「パーパス・ビジョンの共有」です。パーパスとは、企業や仕事の存在意義であり、ビジョンは会社にとってのあるべき姿ならびに、ありたい姿です。
働く人にとっては自分が担当している目の前の業務が、会社全体のパーパス・ビジョンにおいてどのような意義を持ち、かつ、具体的に役立っているのかなどを明確にします。また従業員全員で共有することで、職務エンゲージメントを意識しがちな状況のなかで、組織がバラバラになることを防ぎます。
2つ目は「インクルージョンのある組織」です。心理的安全性が担保されている組織、とも言えるでしょう。他のメンバーと違う考えを持っていたり、スキルが異なっていたとしてもまさにインクルージョンしてくれる環境です。結果として多様なメンバーが閉鎖的にならず、活発的に議論し合うことで、イノベーションが生まれやすくなります。
3つ目は「組織内のトランスペアレンシー(透明性)」です。情報がないと、人というのは迷ってしまい動きません。そうならないために、迷うことなく意思決定できる情報を、企業は常に働く人にオープンに提供します。
最後は「リーダー改革」です。これまでの日本のリーダーシップは、いわゆる上から目線の体育会系的なリーダーシップでした。しかしこれからは各人が自律して働きますから、その自律を支援する、支援型リーダーが必要と言えます。また、このような考え(改革)は経営層、中間管理職だけではなく組織全体で進めていくことが重要です。
先ほどの繰り返しかつ、今まさに説明した内容に重なりますが、人事施策の対応だけでは足りず、組織も含めた総合的な改革を行うことが重要です。つまり人事部自体も変わる必要があるのです。
人事が経営層と目線を合わせ、どのように改革を進めていくのか。まさにこれからの時代は人事への期待や責任が大きく高まるとともに、実践できない人事部は淘汰(とうた)されていくと私は考えています。
グローバル経営実現のための人事戦略~いかに人的資本を向上させるか~/豊田通商 濱瀬牧子氏
私がソニーにいた頃から感じていた人事に関するトレンドは、労働力であった人が人的資源になり、まさに現在地である「人的資本」に変わっていきました。20年という時間をかけてようやく“人”がフォーカスされるようになったと、改めて感じています。
私は3年前に豊田通商に入社しましたが、まずはどのような会社に成長したいのかを明確に定義すること、その上で、各種施策を打っていくことが重要だと考え、ヒトについての「ありたい姿」を明確化しました。
それは代替不能、唯一無二の存在として選ばれ続ける組織「Be the Right ONE」というグローバル共通のビジョンを、単なるスローガンではなく、そのビジョンの意味するところや「行動基準は何か」についてグローバルでの一貫性を保っていくことです。逆の言い方をすると、ポリシーに沿わないことはやりません。
当社は20年前と比べると、従業員数が約7倍に増加するなど、業績、グループ会社の数など、経営規模が大きく変化しています。その結果、当時入社したメンバーと現在のメンバーのパーセプションが大きく異なっており、その差異から人事に関するさまざまな課題が発生していました。
経営戦略を実現するためには、事業・人事戦略が表裏一体になっている、つまり、事業を実現するための人事戦略である必要があるわけですが、一般的に従来の人事は守り的なイメージが強く、人事施策が具体的にどのように事業に役立っているのか、企業の成長に結びついているのか、そのストーリーと結果検証が薄いことを認識していました。
このようなことを踏まえ、昨秋に1日半をかけ同事案を議論。「豊田通商にとって真のグローバル企業とは」をテーマの一つとして役員間で議論し、戦略と表裏一体となる人事の仕組みづくり、そしてその施策を大きく4つの柱に分けて作成しました。「人財ポートフォリオづくり」「組織開発」、「データドリブン」、「人権の尊重と人事のBCM」です。
特に「データドリブン」では、これまでの個別最適な人事プロセスと個別システムを有機的につなげ、スキルや能力といった「人財」のデータと各ポジションの要件を見える化して、ヒトについてのパイプラインを構築していきます。これにより適材適所やキャリア自律を促進します。
仕組みが実装されることにより、これまで日本の駐在員が担っていた業務がローカルメンバーで行えることが判明したり、アサインに最適なメンバーの抽出も、役割をベースにしたポストと人のマッチングができると考えています。
各世代が抱える課題は異なります。それらの課題を一つ一つひもとくと同時に、対策を講じています。ミドルマネジメント層へは従来のリーダーシップスタイルから、先ほど守島先生からもご説明のあったコーチング、背中を押したり、部下のパフォーマンスを最大限引き出したりするマネジメントを育成するプログラムを実施しています。
チャレンジを良しとする風土を醸成しようと、「TIVP(Toyotsu Inno-Ventures Project)」という、ビジネスインキュベーションプログラムも展開しています。同施策は人事部主導ではなく、新規事業創出を担当する部署が先導しています。すでにいくつものアイデアが進んでいて、プレスリリースレベルにまで至るケースも出てきています。
私は人事として大切にしていることの中で、特に次の5つをHR Principle(プリンシプル)として掲げ、皆の行動のベースにしてもらうことで「強い個」「強い組織」づくりを目指しています。
1. 志・情熱 × 戦略・ストーリー × チーム
2. Work with Respect
3. ステークホルダーのニーズや課題に共に向き合い、寄り添い、ハンズオンで解決
4. 短期視点だけでなく、中長期視点で考え、行動
5. 先手必勝
互いの尊重を前提に、相手が誰であっても正々堂々とオープンに意見を言う。やらされ感や受け身でなくオーナーシップを持つこと。言われる前にやると心地よい――など。各人が自分なりに捉え、実際の業務に活かしてもらいたいと考えています。
トークセッション/Q&A
――経営者に人材投資を意義があるように認識してもらうにはどうアピールすべきか
濱瀬氏:上記でもご説明した通り、どのような経営や事業を展開したいのかを明確に共有した上で、人的視点から何を行う必要があるのか、論理立てて説明できることが重要だと思います。
CEO、CFO、CHROが三位一体となって対話できる環境の整備も大前提です。育成というと研修が多くイメージされ予算に左右されがちですが、人材が成長するために必要な「7・2・1の法則」での1に過ぎません。現場経験である7や、上司や先輩からの学びやフィードバックといった2に着目することも大切です。
守島氏:経営者が研修などをカットするのは、今に始まったことではありません。だからこそ、人的経営に注目が集まる今がチャンスなのです。先に説明した通り、株主が味方に付いているからです。エンゲージメントサーベイの結果を社内で共有するだけでなく、外部にも積極配信するような工夫を、人事が率先して行うとよいでしょう。
――各世代における人材育成の取り組みについて詳しく聞きたい
濱瀬氏:今の変革の時代においてはミドルマネジメント層が肝だと思っています。上と下に挟まれながらミドルマネジメント層が成長し、会社の課題を自分ゴトとして捉え、自分の会社をより良くしたいと考えて、部下の能力ややる気を最大限引き出せるマネジメントが増えると、会社はがぜん強くなると考えています。
そこで当社としては、エンゲージメントサーベイで実際にどのようなミドルマネジメント層が評価されているのかを調査しました。すると「フィードバックが上手」「コミュニケーションが十分」「キャリアの相談ができる」の3つの指標では、高得点なミドルマネジメント層がいる組織のエンゲージメントが高く、逆に低いミドルマネジメント層が多い組織は、組織エンゲージメントも低いことがわかりました。
守島氏:ミドルマネジメント層の育成に注力することの重要性は私も同感です。豊田通商の取り組みが素晴らしいと思ったのは、エンゲージメントサーベイを有効活用している点です。多くの企業でもサーベイをやっているところは多いと思いますが、結果を分析し、ディスカッションするプロセスが重要であり、この取り組みこそ人事に求められる業務だからです。
濱瀬氏:以前は本社が作成したオリジナルのものを使っていましたが、2年前からは汎用的なものに変えました。客観的に他社と比較したり、グローバル連結の視点を入れるためです。
もう一つ、当社は本部制のため、以前は人材マネジメントも各部が主体になっていましたが、現在ではHRBP(*1)的なポジションとして各部署に入り込み、サーベイの結果を基に一緒になって伴走しながら、改善プロセスを組み込むことを始めました。人事部主導の活動というより、あくまで現場の方々が当事者意識を持つ――。まさに先の「7」を推進するために人事が入って職場の活性化が行われることです。
守島氏:現場のミドルマネジメント層にだけ任せていては、立ち行かない時代です。そこで人事がプロフェッショナルとして絡んでいく。ただ現場は嫌がるでしょうから、そこはトップ主導で進めていく必要があるでしょう。
濱瀬氏:おっしゃる通りだと思います。今の時代はこれまでのミドルマネジメント層が経験してこなかったことを新たなミッションとして求められます。繰り返しになりますが、人事は制度の番人ではなく、共に伴走する役割が求められるのだと考えています。
――若手層へのマネジメントや向いている人材について
守島氏:一人一人の資本価値やポテンシャルが異なるため、各人を丁寧に個別に見ていくマネジメントが重要であり、人的資本経営の大きなポイントだと私は思っています。以前は、成果を出した人がマネジメントポジションに就く傾向がありましたが、今はまさに転機にあると言えるでしょう。単に育成を行うだけでなく、いかに各人をやる気にさせるかが重要、とも言えます。
濱瀬氏:部下と対話ができること。チームや会社として、どこを目指しているのか、そのような大きな方向性や考えを指し示し、部下の話に耳を傾け、異なる意見でも対話を通じて共通のゴールに向かっていくリーダー。コロナ禍で在宅が増えた今だからこそ、出社した際に「やっぱりこの会社に所属していてよかった」とマインドが醸成されている、そのようなコミュニケーションを普段から取れる人だと思います。
――グローバル経営について
濱瀬氏:グローバル経営と一言で言っても、各社によってその有様は異なります。当社のグローバル化とは、当社の事業特性、事業ポートフォリオから見て連邦制だと考えています。その定義を明確にすること、日本から駐在して行うべきビジネス、現地社員が行った方がよいビジネス、どう育成するかが明確になってきます。
守島氏:グローバルに限らず、女性・シニア層も同様ですが、優秀な人材はどこにでもいます。人的資本経営の考えとしては、そのような優秀な人材を使ってビジネスを進める、あるいは、価値に応じた人材をアサインすることです。人を無駄にしない、とも言えます。そのため、外国人だから、海外の企業だからといったバイアスで人材を選ぶ時代ではないと言えるでしょう。
濱瀬氏:実際、グローバル共通の施策を企画する場合には、日本のメンバーだけではなく、各リージョンの人事とタスクフォースを組成して議論をします。CoE(Center of Excellence)をイチから共につくり、リージョンごとに展開・最適化していく流れとしています。
――エンゲージメントと業績の関係性ならびに、人的資本データの指標について
濱瀬氏:エンゲージメントサーベイと業績の関係における相関性は、無論それだけではないですが、蓋然性は高いと考えます。エンゲージメントサーベイの結果は毎年トップ層と共有しており、会社のヘルスバロメーターです。
サーベイが目的化するのではなく毎年どう変化したのかをきちんと把握して課題解決に結びつけること、そして指標に関しては、関連性があると考えるいくつかの項目についてKPI(*2)を設定しています。ただし、女性管理職比率○○%のような数字は、数字が目的化するのでなく、本質的な実態が伴うよう打ち手とプロセスを重視しています。
守島氏:鶏と卵のような話ではありますが、長期的に捉えた場合、両者がリンクしているとの考えが一般的です。指標においては、製薬会社であれば新薬の開発件数など、企業ごとの特徴に沿ったKPIを設定する必要があるでしょう。
【取材後記】
グローバル化やコロナ禍など、現代の日本社会は非常に先を見通しづらい環境下にあり、そうした中で企業活動を行う会社は、非財務情報や無形固定資産に注目しているという。「人的資本経営」は言わば、「人」を大切な会社の資産と捉え、大事にしていくこと。そしてそれが中長期的な企業価値の向上につながるということである。労働人口の減少や流動的な転職市場において、人的資本とは何か、を今一度考えていく。今回のセミナーからそんなことを考えさせられた。
取材・文/杉山忠義、編集/鈴政武尊・d’s journal編集部
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