働きがいのある会社へ-。社員の声を受け止め、性善説に転換したさくらインターネット

さくらインターネット株式会社

管理本部人事部 労務制度グループ リーダー 川村 貴宏

プロフィール

日本では「労働者ニーズの多様化」が加速しています。より個人が働きやすい環境をつくる「働き方改革」の必要性が叫ばれており、フレックス制度や時短制度などを取り入れる会社も珍しくなくなってきました。しかし、新たにつくった社内制度がうまく活用されないケースも多いのではないでしょうか。

ネットインフラ事業において日本最大級の規模を誇るさくらインターネット株式会社は、2016年に画期的な働き方制度「さぶりこ」(Sakura Business and Life Co-Creation)を導入しました。働き方改革企業2019の特別賞を受賞した「さぶりこ」、その具体的な内容は以下の通りです。

さぶりことは

従業員にとって“本当に使いやすい働き方制度”のつくり方と運用方法について人事部の川村さんに伺ったところ、「性善説」というキーワードと、それまでの管理体制を180度変えた同社の大改革の全貌が見えてきました。

15時半退社も可能。「働きやすい」と答える社員が89%に

御社の「さぶりこ」には、さまざまな制度がありますよね。実際にはどれが一番活用されているのでしょうか?

15時半退社も可能。「働きやすい」と答える社員が89%に

川村氏:一番よく使われているのは「フレックス」ですね。当日の朝、もともとの定時である9時30分より前にSlack(ビジネス用のコミュニケーションツール)で勤務時間を申請すればOKです。

フレックスと言うと、「遅く出社してもいい制度」というイメージが強いかもしれません。しかし弊社では本来の定時よりも早く来て、退社時間も早くするという使われ方が多いですね。極端な例では、7時に出社する社員がいます。この場合の定時は16時ですが、一日の仕事が全て終わると定時より30分早く退社できる「ショート30」を併用した場合、15時30分に退社できます。

そんなに早く帰れるんですね。

川村氏:他にも早く帰ることを推奨するために、残業をしなくても20時間分の残業手当を先に支払う「タイムマネジメント」という制度もあります。あらかじめ残業手当を受け取れるなら、残業時間は短ければ短いほど、社員としては得ですよね。その一方で、会社としては「生活残業(※)」を防げるんです。

(※)残業代を多くもらうため、社員が勤務時間中の仕事のスピードを下げ、わざと残業時間を延ばすこと
「さぶりこ」の導入前後で、どのような変化がありましたか?

川村氏:「さぶりこ」の導入前、2015年にGreat Place to Work®(働きがいの調査を行う機関)の調査をしたところ、「働きやすい』と回答した社員は62%でした。2016年から「さぶりこ」を導入し、2019年では89%にまで上昇しています。数値面だけでなく、実際に社内から「働きやすい会社になった」という声が上がっているのも、私たち人事としてはうれしい反応ですね。また、ありがたいことに採用の応募数も増えました。

応募数が増えたのも、働きやすさ改善の影響によるものなのでしょうか?

川村氏:ええ、おそらく。応募のきっかけを面接で聞くと、「エンジニアがワークライフバランスを保ちながら、健康に働いていける会社だから」とお答えいただいていますから。またエンジニアのリファラルリクルーティングにも増加が見られ、2016年が33%、2017年は44%に上昇しています。

2016年が33%、2017年は44%に上昇

管理型マネジメントから脱却。キーワードは「性善説」

ここまでエンゲージメントに効果を発揮している「さぶりこ」ですが、この制度が生まれた背景を教えてください。

川村氏:弊社は2007年に一度債務超過になっています。そのとき自主退職が増えたのですが、採用は抑えていました。欠員補助も行わなかったため、結果として人件費が下がり、利益が増えました。

ただ一時的に利益が上がっても、人材不足が長く続くと売上は伸びませんし、新しいサービスも生まれにくくなります。そんな中で、先ほどのGreat Place to Work®の調査を行ったわけです。結果では「働きがいがない、働きやすさもない、社員間の信頼もない」、ということが浮き彫りになりました。会社としてはまずい状態ですよね…。

働きがいがない、働きやすさもない、社員間の信頼もない

当時はあまり働きやすい環境ではなかった、ということですよね。具体的にどのような状況だったのでしょうか?

川村氏:そのころは残業1つとっても事前申請が必要で、残業後は進捗を報告させるなど、社員の時間の使い方をガチガチに管理していました。それらの背景には、「放っておいたら人はサボるものだ」という思想があったのでしょう。そんな管理をされていると、社員は「会社に信頼されていない」と捉えてしまいます。会社から信頼されていないと思って仕事をしていても、モチベーションが上がるはずないですよね。

どのように状況を変えていったのでしょうか。

川村氏:働きやすい環境にしていくには、まず先ほどのような思想を打破する必要がありました。そして、それまでのマネジメントの考え方を根本的に変えなければならない。役員間でディスカッションが行われ、たどり着いた方針が、社員を信じる「性善説」でした。それまではどこか社員を疑うような前提のもと、ガチガチの管理を行っていましたが、今後は性善説に基づいて社員の権限を増やし、働き方はなるべく柔軟にしていくと。

性善説という新たな前提から、具体的な「さぶりこ」の7つの制度へは、どのように落とし込んでいったのでしょうか?

川村氏:「さぶりこ」の各制度は、人事発案のものと、現場の社員から募った意見とを合わせた制度になっています。当時、終業後に「さくらインターネットでやりたいこと」をざっくばらんに話し合うイベント「TGIF(Thank God, It’s Friday)』を定期開催していました。硬い会議ではなく、お酒を飲んだり、ピザを食べたりしながら役職に関係なく交流するものです。

一度、「さくらインターネットが目指す新しい働き方」というテーマでTGIFを開催したことがありました。そのときに、わざわざパワーポイントを使って発表資料を用意してきた社員がいて。驚きましたね。正直、人事としては「いったい何を言われるのだろう」「これまでの不満を告白されるのではないか」とビクビクしたのを覚えています。

「さぶりこ」の各制度は、人事発案のものと、現場の社員から募った意見とを合わせた制度

しかしふたを開けてみると、社員たちからはとても有益な提案を頂きました。弊社は社員の90%以上が中途入社です。「前職にはこんな制度があったからうちでもやってみませんか?」とか、「むしろさくらインターネットだったらこんな制度もできるのではないでしょうか?」とか…。それらの意見をベースにディスカッションを行い、その場で実現が決まった制度もありました。

制度を使いたくない人は使わなくてもいい

現場を管理していた方々は、いきなり柔軟にすることに不安や戸惑いもあったと思います。よくここまで大幅な思想の転換が実現しましたね。

川村氏:社長からのトップダウンではなく、あくまで役員たちが、自ら考えて「新しいさくらインターネットの価値観は性善説だ」という結論に行き着いたのが大きかったのだと思います。自分たちでつくった価値観だから納得感があった。

さぶりこ

(さぶりこ ホームページより)

確かに管理職層からの戸惑いの声はありました。「これではメンバーを管理できない」と。たとえば問題になったのは、メンバーの勤怠が見えなくなること。フレックスやリモートワークを導入すると、メンバーの働く場所と時間がバラバラになります。上司の目の届く範囲にいないわけですから、「部下が在宅勤務をしているようだが、アウトプットがないように感じる」といった相談もありました。

どのように解決されたのでしょうか?

川村氏:人事側で各ケースに対応する形で、その都度、働き方を1つずつ見直しました。前述の勤怠の相談については、在宅勤務でもアウトプットがわかるように、業務報告や個人の状況をSlackで報告する文化をつくることで、個々の取り組みの見える化に成功しました。

また、従来は関係者全員が会議室に集まって長々と会議することも多かったのですが、「さぶりこ」導入後は社員がオフィスに集まることが難しくなります。会議が減ることに不満の声が上がりましたが、それが「そもそも会議は必要なのか?」と考えるきっかけになって。それで、承認事項をドキュメントにまとめてオンラインで同意を得るようになったのです。結果として無駄な会議が減り、仕事の効率は上がりました。

このような試行錯誤を繰り返していき、運用を始めて半年くらいで管理職層にも理解が広まりました。業務を進めるうちに「この働き方でも大丈夫だ」と実感してもらえたのでしょう。ちなみに、当時一番反対していた管理職が、今では誰よりも在宅勤務をしています(笑)。

業務を進めるうちに「この働き方でも大丈夫だ」と実感してもらえた

まずは実践してみたことで、徐々に理解も広まったのですね。一方で、ここまで大々的な社内改革ですから、細かい運用ルールの調整・周知など、人事部の負担は大きくなりそうですが…。

川村氏:おっしゃる通り、起こった問題をドキュメントにまとめてFAQを制作したり、「さぶりこ」の使い方を説明する研修を行ったり、個別に相談を受けたりと、人事部の仕事は増えています。正直なところ、従来の画一的な管理の方が楽ではありました。しかし社員に「働きやすい会社になった」と言ってもらえることに、それこそ大きなやりがいを感じているんです。

企業によっては、働き方改善のための制度を導入しても、使われないケースがあると耳にします。必要な人が、必要なときに、きちんと制度を利用できるようにするにはどうしたら良いのでしょうか。

川村氏:そもそも、形式的につくるだけではうまくいかないと思います。「働き方改革と言われているから、リモートワークを導入しよう」では目的を見失っていますよね。社員のニーズは何か、制度を導入する必要性はあるのかをとことん考えなくてはいけません。たとえば、「男性の育児休暇は3日」という制度は、使われ方を具体的に想定しているでしょうか。生まれてきた子どもの世話や、出産から間もないパートナーのケアはたった3日で済むでしょうか。形だけの制度が存在することは、制度がないことよりも悪いと思います。

「さぶりこ」をつくるときには、まさに「使いたいときに使いたい人が使えるようにしたい」を目標にしていました。これは裏を返すと「使いたくない人は使わなくてもいい」ということ。実際に、私たち人事サイドは、利用率を追ってはいないんです。制度の利用率増加を目標にしてしまうと、使いにくい制度を社員に無理やり使わせることにつながりかねませんから。会社でみんなと一緒に働くのが好きな人には、これまで通り定時に会社に来てもらえばいいんです。

制度を使いたくない人は使わなくてもいい

【取材後記】

「さぶりこ」という名称は社員から募集して決定したそうです。その理由を、川村さんは「会社から押し付けるのではなく、社員がつくり上げていく制度にしたかった」と語りました。選んだポイントも「みんなが親しみやすく呼びやすいものでありつつ、ちゃんと意味を成したかった」とのこと。

「さぶりこ」が成功した理由は、徹底した社員ファーストの精神にあると感じました。名称の件はその象徴的なエピソードと言えるでしょう。

「制度を使うのは社員」というのは自明の前提ですが、制度を制作・運用している側は見失いがちな視点です。人事・採用担当者は、社内の制度を社員ファーストの視点で確認する必要があるのではないでしょうか。

(取材・文/斎藤充博、撮影/黒羽政士、編集/田中一成・檜垣優香(プレスラボ)・齋藤裕美子)