DX改革の要「デジタルで体験価値の向上」――。トヨタ自動車デジタル変革推進室が描く、組織の未来
自動車産業は今、100年に1度の変革期に直面している。
トヨタ自動車(代表取締役会長:豊田章男、執行役員・社長:佐藤恒治/本社:愛知県豊田市)は「自動車をつくる会社」から「モビリティカンパニー」へとかじを切り、ビジネスモデルの大規模な変革を進めている。
その一翼を担うのが社内外でのDX推進を担う「デジタル変革推進室」だ。2021年に始動したデジタル変革推進室のビジョンとそのミッションに迫った。
CASE、自動車製造業が迎える新時代。その時トヨタは…
「100年に1度の大変革期」の最中にある自動車業界。自動車業界の技術革新を表す「CASE(ケース)※」は、「車」と「移動」の概念を根本から変えている。トヨタ自動車では、自動車をつくる会社からモビリティカンパニーへのビジネスモデル転換を公言し、「デジタル変革推進室」が始動している。
現在、デジタル変革推進室が担っている責務や、今後のビジョンについて話を伺った。
トヨタのデジタル変革推進室。そのミッションと活躍の環境
――デジタル変革推進室は、どんなミッションの下に創設されたのでしょうか。
泉賢人氏(以下、泉氏):我々のデジタル変革推進室ができたのは2021年1月。「今後、デジタル化をしないことには、お客さまと従業員にとって幸せの量産ができない」という危機感の下、デジタル戦略に本腰を入れるトヨタをリードする組織として誕生しました。
我々は非常に大きな組織の中で、膨大なデータを取り扱っています。「車のデータ」「会社のデータ」「人(者)のデータ」を合わせて、「車・社・者(しゃ・しゃ・しゃ)のデータ」と呼んだりしているのですが、こうしたデータを統合して、新しい付加価値を生み出し、人と社会の幸せを作っていくことが、デジタル変革推進室のミッションとして掲げられました。要は内外のデジタルにまつわるさまざまな「一人一人の体験価値」を向上していこうというわけです。
その対象は「お客さま」「従業員」、そして「コミュニケーション」の3つです。これらの体験を変える、いわば文化や風土を変えていくことが私たち組織の大きな目的となります。
私自身は、新卒入社から情報システム部門に在籍しておりましたが、米国の「トヨタファイナンシャルサービス/ Toyota Motor Credit Corporation(TMCC)」社での勤務を経て、当部署の立ち上げによる室長を任せてもらえることになりました。私のように部門やグループ会社の垣根を越えて集結した、さまざまな知見やトヨタ以外の経験も持ったメンバーで構成されているのが特徴です。
――複数の領域のデータを統合して付加価値を加え、体験を変えていく、ということですね。ここで言う「体験」とは、どんなものを想定されていますか?
泉氏:我々は「GGK/毎(ゴト)・毎(ゴト)・事(コト)」と呼んでいます。お客さま”ごと”に、期待を超えるタイミング”ごと”で、期待を超える”こと(体験)”を提供する、をキーワードとしているわけです。
つまり、お客さまが欲しいもの、欲しいタイミング、欲しい体験は一人一人異なります。お客さまに、あるサービスを提供して喜んでもらえたとしても、次の日に同じことをして、同じリアクションが得られるとは限りません。別のお客さまの場合には、不快になることだってあるかもしれない。つまり、「その人ごと」の体験がとても重要となるということです。いわゆるフルパーソナライズという考え方です。
商品とサービスのベストな組み合わせを通じて、一人一人のお客さまにより良い体験をしていただきたいと思っています。
従業員も同じです。業務をフォローするにあたっては、個々の理想のタイミングがあります。先ほど申し上げた「車・社・者(しゃ・しゃ・しゃ)のデータ」を使って、従業員が望んだタイミングでフォローを提供し、従業員にも幸せになってもらうことを目指しています。
良い環境の下、従業員が仕事に集中できて、いい商品・サービスを手に取ることができる――。組織が活性化することで、さらに良い商品とサービスが生まれる。そうした循環をデジタルの力で作ることが目標です。
総じてお客さまも、当社の従業員も、そこで生まれるコミュニケーションも、体験を通じてより良い状態になってもらうことを目指しています。
――ここからは、片山さんと天野さんにもお話を伺います。お二人が考えるデジタル変革推進室の役割について教えてください。
天野絵里佳氏(以下、天野氏):私は、新卒入社から一貫して人事部門におり、これまで工場や海外事業、本社コーポレートの各業務を担当してきました。
人事を通じて社内をより良い環境や組織に変えたいという思いは当時から強く持っていました。特に組織を変えていくにあたって、デジタルの力をより有効に活用できないかと考えていたこともあり、社内公募で手を挙げ、現在のデジタル変革推進室への異動が決まりました。部署が立ち上がり、少し時間がたってからのジョインでした。
トヨタは、歴史もあり、たくさんの人が働く巨大な組織です。制度や仕組みが過去の経緯や歴史に紐づいていることも多いです。これらは、もちろん良い作用をもたらすこともあります。しかし、未来に向けては、単にデジタルツールを使うだけでなく、トヨタ自動車の社員の「心のOS」をアップグレードしていかなければならないと考えていますし、それが私たちの大切なミッションの1つだと思います。
片山建氏(以下、片山氏):私はこの組織で政策エバンジェリストとして勤務しております。自由、公正で安全なサイバー空間をマルチステークホルダーで形成していくことです。例えば、データを利活用することとプライバシーを尊重することのバランスは最重要ですが、それをどう官・学・民と一緒に形成していき、世の中を啓発し、信頼醸成していくという仕事です。
今、我が国が、「トランスフォーメーション(変革)」しなければいけない時期に差し掛かっていると感じるのは私だけではないと思います。トヨタは紡績会社をルーツに持ち、1937年に自動車の会社となり、その後変革を重ねた現在、モビリティカンパニーとして「幸せを量産する」という揺るぎないミッションを持って、まい進していくことを目指しています。
ですが、歴史が長くなり、大きな組織に成長すると、日々の業務に追われることで物事を捉える視点が下がってしまったり、目先の数値にばかり目が行き、描きたい未来の世界がボヤけてしまったりするケースが出てきてしまいます。
ですから私たちは先のトヨタが目指すビジョンや大切にしたい理念を常に忘れずにありたいと思っている。それは豊田綱領です。デジタル変革推進室は、こうした会社のカルチャーとパーパスをデジタルの力で「再確認」していく役割もあるのではと思っています。
各メンバーが専門性を持って活躍。業界の垣根を越えて社会貢献を目指す
――創設から約1年半が経過しました。現在、デジタル変革推進室はどのような雰囲気でしょうか。
天野氏:デジタル変革推進室にはいろんな部署から集まったメンバーがおり、「心理的安全性」を大切にする雰囲気があります。
日々業務が忙しいと、どうしても自分の業務だけにフォーカスしてしまいますよね。そういうときにも声を掛け合って、ともに「あるべき姿」を探っていこうというスタンスです。
時には意見がぶつかるようなことも起こることもあるでしょう。そのような場面でも、自分の意見を言いやすい雰囲気があれば、前向きな議論につながっていくと思います。
もしかしたら、そのような雰囲気が好きな人がいる反面、居心地が悪い人もいるかもしれません。全員にとってパーフェクトという状態はないと思いますが、グループ長としては、個々がどういう仕事をしていきたいのか、どのようにありたいのかを大事にしたいと思います。
――「黙々と作業する」と「コミュニケーション多め」。どちらのほうが室の雰囲気に近いですか?
泉氏:コミュニケーションが多いですね。データを用いたSQC(統計的品質管理)や、統計学を行うメンバーもいますが、データだけを見ているわけではなく、オンライン・オフラインに関わらず、さまざまなアイデアを話し合っています。
片山氏:デジタル変革推進室は、「ビジョンはぶれない。ディテールは柔軟に」ということを心掛けて、その業務がお客さまのためになっているのか、ということを自問自答して大切にしている人が多いですね。
例えば、社内で活用する資料の作り方ひとつにしても、フォントの大きさや読みやすさなどはさほど問題にしません。要は資料を作りこむことよりも、「これは何を達成したいのか」というゴールおよびアウトカムを明確にすることを重要視しています。細かいレギュレーションにとらわれずに、専門性が活かされる職場だと思います。
――組織の編成について教えてください。
泉氏:2022年7月時点で100人を超えており、毎月増え続けています。トヨタの組織編制としては、「本部」「部」「室」「グループ」という構成ですが、我々「デジタル変革推進室」は、「部」の権限がある「室」で、いくつかのグループで構成されています。
かいつまんでご紹介すると、法規やプライバシー、データに関わる部分を担当しているグループ。トヨタ・コニック・アルファ (TOYOTA CONIQ Alpha)社や販売会社と連携してお客さまの体験(CX)をどうしていくかを考えていくグループ。ほかにもアルゴリズムを扱うグループや、天野が在籍しているグループのように、社員のマインドセットを変えたりすることで、社内のデジタル化を推進することをミッションするグループもあります。
特に注力しているのが、デジタルケイパビリティとその人財をつくり、システムの内製化を目指すグループです。社内のシステムを外注してしまうとスピード感がなくなり、コストも莫大となってしまうため、スピードを重視したアジャイル開発を行うためにも組成しました。
これはアメリカなどの国にならい、事業会社へ「デジタル」をつくり提供できる人財がいなくてはいけないという観点から、育成と輩出も視野に入れた組織形態となっています。この組織の規模が一番大きく、現在36名ほどで構成されていますね。
現在、DXで解決を目指す「組織が抱える課題」
――現在は、社外的にはどのような課題がありますか?
泉氏:トヨタはさまざまなモビリティサービスを提供していますが、各組織やブランド毎にサービスが存在し、「一貫したお客さま体験を提供できていない」という課題があります。
例えば、クルマを所有・利用する場合、新車、中古車、サブスク、レンタカー、シェアカーなど複数の選択肢がありますが、お客さまは各Webサイトや販売店にそれぞれにアクセスしなくては条件を見比べることはできません。
デジタル変革推進室では、「TOYOTA/LEXUSの共通ID」へのサービスID統合を軸に、トヨタが一体となって一人一人のお客さまに製品・サービスを提供できる環境を整え始めています。そして、その先には決済やポイント、UIを含めた、モビリティサービスプラットフォームの実現を目指しております。
そのため、各ステークホルダーを強力に巻き込む必要がありますが、そこで活躍できる人財像はトヨタの内情を深く理解している方ではなく、「揺るぎない覚悟(産業報国)」と「未来視点で顧客体験をクリエイトしていく能力」の2つを持ち合わせた方だと考えています。
――社内の課題についてはいかがでしょうか。
泉氏:社内の課題については、オペレーション、組織、プロセス、ルール、スキル、システムの再構築、再定義が必要になっています。ひと筋縄ではいきませんが、ゼロベースで仕事を見直して変える必要がある部分が見られます。
天野氏:例えば、社内の諸手続きのフローには数多くの種類やルールがあり相当複雑です。そのフローやルールに社員が漠然としたストレスを感じていたとしても、それが当社を含む一般的な企業では恒常的になっているケースが散見されます。
そうした領域において、デジタルを通じて社員の体験を向上させていくことで、従業員が本来やるべき仕事に集中できる環境の構築に寄与したいと考えています。
その際に避けたいのが、例えば「新しいツールを入れたけれど誰も使わなかったので、元のオペレーションに戻ってしまった」というケース。ツールや方法を整えることはできても、実践する人のマインドが変わらないと世界は変わりません。従来のやり方でそれなりに回っているのであればなおさらです。新しいツールやルールの導入に対して受け入れがたいところも出てくるでしょう。
やはり「なんのためにやっているのか」という点に納得していないと、「みんなで実践していこう」とはなりませんので、先ほど申し上げた「心のOSのアップグレード」という点が、マインドセットを変えるという意味でも大変重要になってくると思います。
組織が目指すビジョン、そして実現したい世界とは
――今後のビジョンや、実現したいことについてお聞かせください。
泉氏:トヨタ自動車は自動車をつくるだけの会社から脱却して、「モビリティカンパニー」へとかじを切っています。
移動の概念は多様化しており、例えばメタバース(注:インターネット上の仮想空間)上では、物理的に移動していなくても、実際にそこにいると錯覚できるようなリアリティーが生まれています。
だからこそ物理的なモビリティ体験がますます重要になってきます。今後は、複数の移動方法が共存する形になるでしょう。
それに伴い、クルマの開発も概念そのものが変わっていくでしょう。「全ての人の移動の自由」の下に、さまざまな属性や状況の人たちに、できるだけ多くの選択肢と移動できる幸せを提供することを大切にしていきます。
デジタルはそれを実現させるための1つの手段、と捉えています。
片山氏:私は社外の有識者の方と話す機会が多いのですが、「トヨタに頑張ってほしい」とよく言われます。このコメントの背景にあるのは、「世界時価総額ランキング」では、かつて上位50位以内に数多くの日本企業が並んでいましたが、現在はトヨタ1社となったことのようです。世界で約36万人の社員を抱えておりますので、日本のみならず世界の発展や成長のためできることは何でもやっていこうという気概でおります。
――「組織のあり方」という観点からデジタルの役割について教えてください。
天野氏:全ての組織にとって共通して適した「こうあるべきだ」とはないと考えますが、そのような中でも私たちは「アジャイルな働き方をする」を社内に広めていきたいと思っています。
お客さまにより良いものをタイムリーにお届けすることを追求した考え方である、トヨタ生産方式「TPS」が当社にはあります。これは、アジャイルの思想の基になっているそうです。
デジタルの力も使いながら、TPSを時代に合わせた形であらためて徹底し、お客さまの幸せにつなげることを実現したいと思います。
――デジタル変革推進室という立場から考える「トヨタが目指すところ」について教えてください。
泉氏:トヨタの目指すところは「それぞれの地域で必要とされる存在、いわゆる『この町いちばん』の存在でありたいという想いをぶらさせず、日々改善を継続する」ということです。
これは当社の社長が過去に発信した内容そのままなのですが、「トヨタが時価総額やトータルの販売台数をどれだけ宣伝しても、お客さまは何もうれしくない。トヨタの各事業体が、その町で一番信頼される会社、工場になることが最も望ましい」と言っています。
私たちの姿勢はシンプルであり、これは昔から変わっていません。つまり、それぞれの町で「あの車屋さんいいよね」と言われることを目指し、それを全世界でやっているだけのことなのです。「世界ナンバーワンのシェア」は、そうした取り組みの積み重ねだと思います。
「10年後の我々はどうなっていたいのか」「どうあるべきか」を見据えたうえで、そこから逆算して「何をすべき」か考えていきます。なりゆきに任せてなんとなく過ごしていても未来はやってきますが、未来に向け意志や情熱を注ぐことで、理想の姿に近づけると思いますし、そういうことができる組織になっていきたいと思います。
個々が歩みを振り返ったときに「充実していた」と感じることができればいいですね。
――組織づくりにあたり、注目しているキーワードはありますか?
片山氏:今日の大きなテーマを実現するためには、なんのためにその仕事をしているのか、「パーパス(目的)」というキーワードが大切だと思います。
先ほどの私の話と重複になりますが、やはり目的や理念を見失ってしまうと、私たちは何のために存在しているのか、何のために仕事をしているのかがわからなくなってしまいます。ですから、こうした全社員が共有するものを大切にして、常に振り返り再確認しながら歩みを進めていくことが重要のように感じます。
また、キャリア入社の私としては、意見を言いやすい「心理的安全性」の重要性も実感しているところです。
天野氏:「女性活躍」「ダイバーシティ」という言葉をよく耳にします。私自身、トヨタという組織で仕事をする上で「女性初」「女性1人」という場面に何度か遭遇したことがあります。
決して悪意のある言葉ではないのですが、私は「女性」という1つのカテゴリの中に存在しているわけではありませんし、一人一人さまざまな面があります。
私自身も子どもがおり、「育児と仕事の両立」という話をすることもありますが、いずれは女性ということも意識せずに、自分自身の成長や、目標達成ができる組織であり続けるといいなと思っています。
コロナ禍以降、日本社会にもデジタルの活用によってリモートワークが広がり、働き方の選択肢が広がっていきました。私はこの変化を目の当たりにしたことで、「デジタルは働き方に多様性をもたらすものだ」という確信を一層持ちました。今後ともデジタルの可能性を信じ、働き方の多様性について寄与していきたいと思っています。
【取材後記】
「企業のDX」と一言で表しても、その取り組み内容は企業によってまったく違う。CASEがもたらす自動車業界の変革に合わせて、企業そのものの在り方を変革しようとしているトヨタ自動車において、DXは社内外のデジタルによる変革を促すプロジェクトのことを指す。天野氏のコメントにもあった「DXが働き方の多様性を生み出す」というお話は、まさにデジタルの可能性を追求しようとするトヨタの取り組みの姿勢そのものだと言える。歴史あるトヨタ自動車という組織において、新設されたばかりの「デジタル変革推進室」。その役割と期待される活躍には今後とも注目していきたい。
企画・編集/鈴政武尊・d’s JOURNAL編集部、制作協力/シナト・ビジュアルクリエーション
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