働き方改革の専門家が提言。採用・定着に悩む中小企業こそ労働環境改善で企業成長へ

働き方改革総合研究所株式会社

代表取締役 新田 龍(にった・りょう)

プロフィール
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  • 超売り手市場の中で個人の企業・働き方に対する意識が大幅に変化。企業が「従業員はみんな出世したいはず」と思い込んでいるとブラック企業化するおそれも
  • 労働環境改善は人材の採用、社員の定着はもとより、業績回復や生産性向上にも大きく寄与する重要な経営戦略
  • 労働環境改善の実現には、経営者の価値観を理解したアプローチと、課題意識を共有できる部課長クラスを巻き込みモデルケースをつくるのが重要

さまざまな業種・職種で採用難が続いています。新規採用を進めるために、また貴重な人材の流出を防ぐために、以前にも増して労働環境改善の重要性が叫ばれるようになりました。

しかし、人事がその課題を認識しているだけでは状況は変わりません。経営陣を含めて最新の転職市場をどのように共有し、理解を得て、価値観をアップデートしていくべきか。ここに悩んでいる人事担当者も多いのでは。

Xで14万人を超えるフォロワーを抱え、いわゆる「ブラック企業」の経営者に向けた提言も多数投げかけている新田氏は「働き方改革こそが、今求められている経営戦略」だと指摘します。労働環境改善を通じて企業価値向上を図るプロジェクトでは、人事と協働して経営者を突き動かし、組織全体へ影響を与えていくことも多いといいます。

人材が集まり、定着する企業となるために、人事はどんなアプローチを取るべきなのでしょうか。

「従業員はみんな成長したいはず」という考えがブラック企業を生む

——新田さんは過去にSNSで「『人手不足』というのは『高い報酬を提示してもまだ人が集まらない』状態」と発信していました。採用難が続く中、企業と従業員の関係性はどのように変わってきているのでしょうか。

新田氏:2024年1月に帝国データバンクが全国・全業種2万7308社を対象に実施した調査(※)によると、正社員が「不足している」と感じている企業は52.6%を記録し、完全にコロナ禍前の水準へと戻っています。ITや建設、物流、医療関連など一部業種においては7割の企業が人手不足を訴えており、少子化の影響で若者の絶対数が減少していることを考えれば、今後さらに人手不足感が高まることはあっても、解消されることはおそらくないでしょう。

(※)帝国データバンク:人手不足に対する企業の動向調査(2024年1月)

そんな中、各社は初任給を大幅に引き上げたり、転勤を極力なくしたり、リモートワークを可能にしたりと、働きやすい環境整備にまい進しています。労働環境の改善を進めていない企業は採用で競り負けることとなるため、知恵を絞らざるを得ない状況となっているわけです。

個人の側に目を向ければ、超売り手市場を背景に企業・働き方に対する意識が大きく変わっていき、職場で気に入らないことがあればあっさり退職し、別の会社に移ることも当たり前になりました。退職時に余計な心的ストレスを抱え込みたくないという思いで、退職代行サービスを利用する人も増え続けています。

皆が皆、キャリアを積極的に構築していこうと考える人ばかりではありません。無難な環境で大過なく過ごしていきたいと考える人も多いわけで、企業はそんな人材を育成するために投資をするのはもどかしいと感じるかもしれません。一部の自社に最適な幹部候補人材にリソースを割き、成長意欲が高くない人材への育成投資を控えてしまう。そんな人材の二極化、企業の対応の二極化が進んでいくのかもしれませんね。

——個人の成長意欲やキャリアへの意識が多様化した状況で、企業はどのように対応すればよいのでしょうか。

新田氏:社会全体が成長していた昭和の感覚で「従業員はみんな出世したいはずだ」と思って接していると、従業員が職場環境に求めることとの乖離(かいり)が生じ、「この会社はブラック企業だ」と言われるようになっていくでしょう。とは言え最適な幹部候補人材だけを採用していくのは現実的には不可能です。企業としては、キャリアや仕事に対する考え方が多様であることを理解したうえで、従業員の価値観を寛容に受け止めつつ、ビジネスが回る仕組みをつくっていくしかありません。

効果は採用・定着だけではない。労働環境改善は「高収益を生むための経営戦略」

——新田さんは多くの企業の労働環境改善を支援しています。支援先企業にはどのような変化が起きているのでしょうか。

新田氏:いくつかの事例をご紹介します。

全国チェーンの美容サロンでは組織体制や人事制度、採用手法などの抜本的な改善により、離職率を20%台から5%まで下げ、応募者数増加など採用成功にもつながりました。

業界最大手規模の飲食チェーンでは労働環境改善支援とポジティブ広報支援により、経常利益でマイナス17億円の赤字状態から、12億円の黒字へとV字回復を遂げています。

また業界最大手のシステムインテグレータグループ企業においても、タスクの棚卸しと業務上のボトルネック改善によって生産性向上を実現しました。

——人材の採用や定着のみならず、業績回復や生産性向上などにも大きく寄与しているのですね。

新田氏:共通しているのは、トップダウンかつ組織全体で業務の棚卸しをおこない、無駄なタスクや作業に投じていたリソースを見直すことです。これによって従業員が疲弊しなくなり、無駄になってしまっていたリソースをプラスの価値へと転換できるのです。定着率が上がれば採用コストは減り、地域社会での評価が高まり、取引先が増えていき、評判だけで人も仕事も舞い込むようになる。そうした事例は本当に多いですよ。

——人事に携わる多くの方もそうした変化を目指していると思います。しかし、経営陣の理解をなかなか得られずに悩んでいる人も少なくありません。どのようにアプローチしていくべきでしょうか。

新田氏:まずは経営者の価値観を把握したうえで、その実現のために経営者に伴走して支援する「良きフォロワー」となることです。何を大切にしているのか、どうすれば経営者のやる気に火が付くのかを観察しつつ、経営者の前向きな意思決定に対しては「それいいですね!」「私たちがとりまとめて進めます!」といった形で、ポジティブに反応して推し進める役割を担うのです。

ある程度規模の大きい会社で内部昇進し、1期だけ務めるようなサラリーマン社長なら「これをやりました」とアピールできる実績をつくることで、プロ経営者などの次のキャリアにもつなげられます。人事が「就任期間中に労働環境改善でこれだけの成果が出ますよ」と説得すれば、積極的に取り組んでもらえるはずです。

会社の知名度向上や外からの見え方を気にする経営者なら、「働きがいのある会社ランキング」など、外部評価の獲得を説得材料にしてもいいかもしれません。従業員の満足度によって評価される指標も一般的になってきたので、労働環境改善の施策とうまくつなげられるでしょう。

私自身は「働き方改革って何?」という段階の経営者向けに講演することも多いのですが、従業員の残業時間を減らしたり休みを増やしたりすることについて、「自分たちの財布が痛んで損をする」「国が言っているから取り組むしかない」と消極的に捉える経営者もまだまだ多いと感じます。そんな場面でも「労働環境改善や働き方改革は、今の時代に必須となる差別化戦略なのだ」と伝えることで、経営者の考え方が大きく変わることもあります。

労働環境改善の施策を全社的に機能させるためには、経営者が本気になり、トップダウンで「儲からない事業は根本的に見直す」「無駄なことをやめなさい」と発信しなければいけません。従業員にたくさん残業をさせて何とか利益を出すのではなく、ノー残業で大きな利益を出す。そんな重要経営戦略なのだと気付いてもらえるよう、人事担当者には粘り強くアプローチしていただきたいですね。

労働環境改善を実現できれば、人事パーソンとしての新たなキャリアにつながる

——人事が最初の一歩を踏み出す際には、どんなことに取り組むべきでしょうか。

新田氏:私のところには、企業価値を向上させたい経営者だけではなく、ブラックな環境を変えたいと考えている人事担当者からも多くの相談が寄せられます。中には経営陣との意思疎通が図れていない状態で、人事からの発信で何とか会社を変えていこうとしているケースもあります。

経営者さえも課題を感じていない段階では、これまで自社で何をやってきたのか、なぜ労働環境を改善できなかったのかについて、過去の負けパターンを分析しながら、前述のように経営者へのアプローチを考えていくべきでしょう。まずは経営者を巻き込み、自分たちの陣に入ってもらう必要があります。

経営者を味方に付けることができても、いきなり全社を変えることは難しい。次にやるべきは課題意識を共有できる部課長クラスを巻き込み、モデルケースをつくることです。最も忙しいと思われる部署のトップと組み、まずはスモールスタートでその組織だけでも労働環境改善が実現できれば、「あの部署が変われるならウチも変われるかもしれない」という機運が広がっていくものです。日和見だった人たちも積極的に動くようになりますよ。

こうした変化を生むために欠かせないのは人事担当者の情熱です。最初は協力者が少なく、周りから冷めた目で見られることも多いでしょう。なかなか成果が出ない時期が長く続くこともあります。それでも情熱を失うことなく、長丁場の取り組みになることを覚悟して続けていくしかありません。

——人事担当者が自分自身をモチベートしていくことが必要なのですね。

新田氏:人事という職業に対する使命感と、「自分がやり切る」という強い気持ちを持つことが求められます。

もちろん、個人のキャリアにとっても大きな意義があるでしょう。こうしたプロジェクトをやり切って会社を変えれば、人事業界で注目を集めたり、外部メディアに取り上げられたりするかもしれません。仮に社内で出世できないとしても、プロジェクトマネジメントの実績が身に付くので、「改善請負人」として他社で活躍できる可能性もあるでしょう。昨今では労働環境改善に資する専門コンサルタントの需要も急増していますから。

自社で取り組んでいるプロセスや事例を社外へ発信していくことにも意義があります。情報は、発信している人のもとへ集まってくるもの。労働環境改善は1社だけではなく、日本社会全体で取り組んでいくべき課題です。人事の知見や努力が共有され、多くの企業が変わっていく未来に期待したいですね。

写真提供:働き方改革総合研究所株式会社

取材後記

Xでの舌鋒(ぜっぽう)鋭い発信に触れて、取材前までは新田さんを「ブラック企業に苦しむ個人の味方」という側面で強く認識していました。しかし取材を終えて感じたのは、一人ひとりを救うだけでなく、企業や経営者にも寄り添って根本的な問題を解決しようとする新田さんの信念。「定着率が上がれば採用コストは減り、地域社会での評価が高まり、取引先が増えていき、評判だけで人も仕事も舞い込むようになる」。新田さんが指摘した労働環境改善の“効果”は、どんな企業にも必要となるはずです。人事が経営陣を動かし、会社全体を変えていくために必要な視点を学べた取材でした。

企画・編集/田村裕美(d’s JOURNAL編集部)、野村英之(プレスラボ)、取材・文/多田慎介

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