戦国武将から学ぶVol. 6 「明治維新までの原動力となった!カリスマ武将の人材教育」

有限会社ベルウッドクリエイツ 代表取締役

戦国プロデューサー 鈴木 智博【寄稿】

プロフィール

スタートアップやベンチャーに限らず起業初期段階においては社長の「カリスマ」と社員の「忠誠」が重要である。能力が高くとも、信頼して背中を預けることができなければ、乱世の荒波を乗り切ることはできない。

戦国時代のカリスマ武将たちの教育方法は実にユニークで、それぞれの家の風土や匂いを感じさせてくれる。

暗君なしと言われた島津のカリスマ

島津義久(しまづ・よしひさ)と言えば戦国時代の雄であり、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)の九州征伐直前までは怒濤(どとう)の進撃を見せていた。守護大名ではあるが最南端の小国島津は、秀逸な一族の人材により大きな飛躍を遂げていた。

その根源となった人物こそ、島津日新斎(しまづ・じっしんさい)である。

日新斎は隠居後、息子・貴久(たかひさ)の子、義久(よしひさ)、義弘(よしひろ)、歳久(としひさ)、家久(いえひさ)の四兄弟を教育した。これが後に「島津に暗君なし」といわれるほどの名将となった。

暗君なしと言われた島津のカリスマ1

イラスト/©墨絵師御歌頭

義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わり、義弘は雄武英略を以て他に傑出し、歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり
これは日新斎が孫たちをそれぞれ評価した言葉だと言われている。

日新斎は分家でありながら、その卓越した経営センスで実力を養い、やがて嫡男・貴久を養子として守護家に送り、継がせることに成功する。また、当時まだ珍しかった鉄砲を貿易により入手して独自に研究を行い、日本で初めて実戦投入したことでも知られている。

暗君なしと言われた島津のカリスマ2

その後、日新斎は島津のお家芸として有名な“釣り野伏”(つりのぶせ)や“捨て奸”(すてがまり)を編み出した。“釣り野伏”は敵前撤退によって巧みに敵を誘い込み、鉄砲射撃をきっかけに反撃、包囲殲滅(せんめつ)する戦法であり、数を頼みとする強大な敵に対して強烈な反撃を加え、敵軍の指揮系統を混乱させ敗走へと追い込むのだ。

対して“捨て奸”は、えりすぐりの銃者が殿(しんがり:撤退時の最後尾隊)として地面に鉄砲を固定し、追ってきた敵馬上の統率者を狙撃する。その名のとおり、銃者は死兵と化し、生き残ることはできないが、それによって本隊への追撃を諦めさせるという恐ろしく苛烈な戦法である。

これらは、鉄砲技術だけでなく、島津軍全体としての厳しい軍法や精神教育があって成功するものである。

日新斎は家中において、「日学」と呼ばれる教育法を実施している。これは禅、神道、仏教、儒教など全てを極めた日新斎が独自にまとめ上げた学問である。さらに、教育レベルにかかわらず誰でもその心得を身に付けることができるように、「いろは歌」を考案している。これは後に島津の郷中教育と呼ばれる教育法の基礎となり、幕末志士の礎となっている。時代を通じて、日新斎は島津のカリスマであったと言えるだろう。

いろは歌に込められた、人材教育のヒント

暗君なしと云われた島津のカリスマ3

一説には5年の歳月をかけて完成させたという「日新斎のいろは歌」は47首ある。全て学んでこその日学であるが、今回はその一部を抜粋して学んでみよう。

「い」いにしへの道を聞きても唱へても わが行にせずばかひなし
古典の道(思想など)を学びそらんじたとしても、自らの行いとしない者は意味がない。
ここでいう道とは、いわゆる書道や華道やラーメン道など、日本人が好む道である。諸外国の法や術でないところがいかにも日本的で、完成されたものではなく、常に未完の学びとして成長させていくという謙虚なものである。日新斎は、知識があっても実践行動できない者は駄目だと初っ端にこの歌を持ってきている。

「は」はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日もと学びをばせで
明日生きていられるとは思うな、修学は今このときと思って延ばすべきではない。
戦国時代は日々、生きて帰れないかもしれないという時代である。もし仮に現代人が、明日は命がないかもしれないという危機迫った状況に置かれたらどうだろう。日々最善を尽くすことは、美しい生き方であり、満足した人生を送るために、学びは今やるべきである。

「ぬ」盗人はよそより入ると思うかや 耳目の門に戸ざしよくせよ
盗人は外から入ると思うだろうが、自らの耳と目にこそ戸締まりをよくしなければならない。
リスク管理は、ついつい外からの防衛に目が行きがちである。しかし、今までの経験上、外敵による進入よりも、内部から流出することが多い。まずは自社、一人一人が心掛けるようにすべきである。

「わ」私を捨てて君にしむかはねば うらみも起こり述懐もあり
私心を捨てて君主に仕えなければ、恨みも起こり、述懐(この場合不平不満の意)も出てくるものだ。
私的な感情や野望を捨てて会社や仕事に取り組まなければ、何かあった際に心に恨みが起こるだろうし、不満も出てくるだろう。

「る」流通すと貴人や君が物語り はじめて聞ける顔もちぞよき
目上の人の話や説法を聞くときには、もしあなたが知っていたとしても、初めて聞いたという顔をしなさい。
これは現代社会でもよくあるシーンではないだろうか。上司や取引先の社長などの話で既に知っていることがあったとしても、初めて聞きましたという対応をした方が人間関係はうまくいくものだ。
“一を聞いて十を知る”という利発な人は、その利発さが表に出て、知らずに話の腰を折っていないだろうか。経験豊かな人の話ほど、表面だけでは捉えきれないノウハウが含まれている可能性が高い。それは聞く側の姿勢によって、いくらでも得ることができるのである。

「す」少しきを足れりとも知れ満ちぬれば 月もほどなく十六夜の空
少し足りないということを知り、それに満足しなさい。月の満ち欠けも同じもので、十六夜の空を楽しめる心を養いなさい。
これが最後の歌である。現代人の欲望は際限がない。何かを手に入れたらさらにその上が欲しくなる。自らの足るを知るという心を持たなければ、その欲望にのみ込まれてしまう。
ネット社会は情報が氾濫し、あなたと会社のお金をあらゆる手段で奪いにくる。
自社や自分にとって、本当に必要なモノを知るということは、富貴に関係なくマネー術として体得しておくべきである。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(ビスマルク)」
日新斎のいろは歌にはまだまだ学びが多いので、いずれ別の機会でご紹介をしていきたい。
歴史は繰り返すという言葉のように、人の一生、その根源は一見変わることはないかもしれない。ただ、少しずつ世の中は良くなっており、より良くしていくために人は常に学んでいる。
故に、未来は明るいと言えるだろう。

【まとめ】-偉人に学ぶ-

島津日新斎の、人材教育のポイントをまとめてみる。

・子どもでも歌で覚えやすく工夫することで、教育レベルのハードルを下げた。
・幕末まで続く郷中教育に組み込んだことで、自らの死後も引き継がれ、強力な結束力を生み出すことに成功した。
・根底には、「正直者であるべきだ」という島津家に仕える者としての使命感に満ちた歌が幾度も登場する。現代だと、ザ・リッツ・カールトンのクレドのようなもので、単純明快な理念や方向性を示していた。

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(寄稿/戦国魂プロデューサー・鈴木智博、イラスト/©墨絵師御歌頭)